金剛株式会社 金剛株式会社
創業70周年 特設ページ

金剛70年の軌跡

―未来へ繋げる想い― 
1947年2月18日、金剛は熊本に誕生しました。 
今年で創業70 年。 
 
創業者・谷脇源資をはじめ諸先輩の努力や苦労、 そして喜びや情熱を受け継ぎ、
未来へ繋いで行きたいと思います。
 
 

1947年 創業

 〜PROLOGUE〜 金剛の由来、そして谷脇青年の熱き想い。

 
 1925年2月18日、創業者の谷脇源資は徳島に生まれました。
 
昭和大恐慌の中、12歳で大阪の叔父が勤めていた測量製図店へ奉公に出ました。
 
昼間は配達とセールスで役所や会社を駆け回り、夜は夜学に通う毎日を経て、
4年後に叔父と共同経営で「金剛測量製図器械店」を始めます。
 
  金剛の名には、“大阪で一番高い金剛山のように大きくなりたい”という想いを込めました。
 
その後谷脇は、叔父と袂を分かち、独立宣言をします。   
 
 独立宣言した谷脇は、新天地を求め九州に向かいます。
九州中を自転車で回り、最後に辿り着いた熊本を今後の拠点に決めました。
 
こうして1947年2月18日、国鉄水前寺駅の手荷物預かり所の一角を借りて金剛の前身、
「金剛測量製図器械店」が誕生したのです。
 
奇しくもこの日は、谷脇22歳の誕生日でした。
 
 
 
水前寺駅前の手荷物預かり所

水前寺駅前の手荷物預かり所

 

谷脇源資 18歳の頃

谷脇源資 18歳の頃

 
 
  (2016年2月1日 掲載)

1951年 設立 

〜4年目〜 金剛の礎、ここに築かれる。

 
1951年1月 、創業からわずか4年で快挙を成し遂げます。
資本金100万円で金剛株式社が設立されたのです。
 
戦後復興のため、区画整理や道路建設に不可欠な測量・製図器機が飛ぶように売れる中、
谷脇は本業商品の他にも注文がくれば何でも取扱いました。
測量機器などを仕入に東京や大阪に出たついでに、その他の商品も仕入れてくるのです。
そして仕入れた品物は知り合いの赤帽さんに熊本まで急いで運んでもらいました。
 
 モノのない時代、仕入面で他店よりも早く・安く納品する谷脇独自の商法で、
顧客からの信用を得ることに成功し、多くの利益を上げる事ができたのです。
これには大阪時代に培った人脈と商品知識がものを言いました。
 
どんな事をしても注文に応じようと社員総出で努力し、仕入に奔走した賜物でした。
 
 
 
店に立つ谷脇。様々な商品を扱った。

店に立つ谷脇 様々な商品を扱った

 
 
初期の銀座通り店舗。現在は谷脇ビルが建っている。

初期の銀座通り店舗 現在は谷脇ビルが建っている

 
  (2016年3月1日 掲載)

1957年 転身

 〜10年目〜 商社からメーカーへ。

 

創業10年目に金剛は最初の大きな転機を迎えます。
 
当時、日本は好景気に沸きかえり、目覚ましい成長を遂げていました。
こうした時代の流れを察知した谷脇は、
これからは必ずスチール家具の需要が増えだろう、と確信していました。
 
 そんな折、取引のあった広島の旭金庫が倒産。
そこの技術者3人が金剛に入社したことにより、メーカーに転身するチャンスが到来したのです。
 
谷脇は熟慮を重ね、スチール家具の生産に踏み切ります。
 
全くの新分野でしたが、最良のものを生産するという情熱に燃えて
社員一丸となって夜まで研究と試作を続け、あらゆる困難を克服していきました。
 
記念すべき金剛第1号製品は大分の宮城農協に納入した金庫用鉄扉でした。
 
 
 
製作第1号を後ろに社員一同記念撮影

製作第1号を後ろに社員一同記念撮影

 
金剛第1号製品の鉄扉

金剛第1号製品の鉄扉

 
(2016年4月1日掲載)

1967年 自信

〜20年目〜 熊本県立図書館へ納入。

 
創業20年目にあたる1967年、熊本県が図書館を建設することになり、
棚工事は東京のラックメーカーに内々定しているとの情報を得ます。
 
“地元の仕事を取れない様なメーカーはどこへ行っても通用しない“と、社長の谷脇は受注獲得に向け奮闘。
地元企業育成の機運の後押しもあり、金剛に決まりました。
 
金剛がそれまで扱った事があったのは蔵書数2千~3千の図書館だったため、
県立図書館の3万冊収容の書架を造るのは初めての事。
本以外にも地図や新聞なども扱う為、多様な種類・サイズの書架が必要でした。
 
全てが初めての経験でしたが、技術陣が図書館に泊まり込みで造り上げ、メーカーとしての自信に繋げて行ったのです。
 
この納入実績が1968年の国立国会図書館納入へのアプローチの決め手となりました。
(2016年5月11日掲載)

1977年 上昇

〜30年目〜 第28期経営方針発表。

 
創業30周年の記念式典の席で、社長の谷脇は第28期経営方針を次の様に発表しました。
 
①販売網の拡大と共に質的充実を図る。
各ブロックの市場特性を考慮し、従来のルート販売を量的・質的に拡充する。
 
②全員参加の製品開発。
チャレンジ提案制度を地道に展開して「一味違う製品の開発」「700人の眼・耳・手・足の活用」を図る。
 
③社員の質的向上を進める。
企業の盛衰は人材の有無、その活用にかかっている。
社員一人ひとりの質的な向上が急務である。社員それぞれが最高の実力をつけ、生産性と付加価値の向上を目指したい。
 
 谷脇が経営にあたって一番重視したのが、社内の活性化。
社員全員で日常会話の中からアイディアや情報を共有し、
提案していく事が 職場の活性化や会社の発展に繋がる、との事で
第28期よりチャレンジ提案制度が経営方針に盛り込まれました。
30周年の記念式典で挨拶をする谷脇社長

30周年の記念式典で挨拶をする谷脇社長

 

 

(2016年6月1日掲載)

1986年  躍進

〜39年目〜 悲願の新工場、ついに完成。

 
1986年9月、大幅な生産設備の自動化を図った、新工場が完成しました。
新工場の建設は、操業をしながら古い工場を少しずつ改造する形で進行。
新しい製造設備なども新建屋が出来上がった 所から順次導入を進め、
最新の生産ラインを組み立てました。
新工場はコンピューターを積極的に導入し、製造工程のほとんどを自動化すると同時に
製品の高度化・多様化に即応できるようにしました。
FA(工場自動化)、FMS(フレキシブル生産システム化)を進める事で省力化を進め、
コストダウンと同時に製品の 均一化と高度化を図り、競争力を強化する事が狙いでした。
これにより、生産力は旧工場に比べ、一挙に2.5倍になったのです。
完成した新工場

完成した新工場

 

 

(2016年7月1日掲載)

1987年  向上

〜40年目〜 ピカピカコンゴー5S運動!

 

職場環境整備のスローガンを掲げた『日本全国“5S運動”』に金剛は賛同。
各部署で1987年6月頃より運動を展開しました。
 
『5S』とは
1.「整 理」:ときどき机上の不要な物は処分しよう。
2.「整 頓」:書類や工具をすぐ取り出せるようにしよう。
         ファイリングをして使い易さを第一に。
3.「清 掃」:汚れ・ゴミをなくし、綺麗な職場環境に。
4.「清 潔」:整理・整頓・清掃の3Sを維持しよう。
5.「しつけ」:“ハイオアシス”唱和。
 
ハ・・・はい
イ・・・いらっしゃいませ
オ・・・おはようございます
ア・・・ありがとうございます
シ・・・しつれいいたします
ス・・・すみませんでした
  
当時、毎朝朝礼で“ハイオアシス”を全員で唱和。
“オアシス”の心がけだけではなく、朝から大きな声を出すことで
気持ち良く1日のスタートが切れ、けじめも節度もついてくるという趣旨でした。
 
 
工場での朝礼の様子

工場での朝礼の様子

 
 
 
(2016年8月1日掲載)
 

1993年  免震

〜46年目〜 長年の研究開発、ついに開花。
 

 
1993年8月、約15年の歳月を費やし研究・開発し 製品化してきた耐震機能に加えて、
「免震装置」を組み込んだ“免震移動棚”を完成させ、売り出しました。
移動棚における「免震装置」の開発は、 日本の業界はもちろん、世界でも初の事でした。
 
その後免震移動棚は、1995年の阪神・淡路大震災でその技術の正確さを証明し、 
日本発明振興協会と日刊新聞社共催の発明大賞・発明功労賞を受賞。
97年には免震システムが、日本に多大な貢献をしていると高く評価され、
社長の宮﨑が科学技術庁長官賞を受賞。
また同年、「免震床工法」に対して建設省の建設大臣技術評価書が交付されました。
 
 
 
 
 
 
 
(2016年9月1日掲載)
 

1997年  貢献

〜50年目〜 初めての地域貢献事業。
 

 
創業50周年記念事業として、前年に熊本県と熊本市が進めていた
「明治の文豪、夏目漱石来熊百周年記念事業96くまもと漱石博」に積極的に協賛しました。
 
漱石との縁は、金剛が1951年に株式会社となり移転した場所にあります。
金剛株式会社 創設の地(現:谷脇ビル)は漱石が来熊後、最初の住家があった場所です。
 
これにご縁を感じ、谷脇ビル(当時は金剛ビル)の入口に漱石のレリーフと、
熊本大学の五高記念館前にブロンズ座像を寄贈。
また、上熊本駅前のブロンズ立像に協賛しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
(2016年10月3日掲載)
 

2009年  前進

〜62年目〜 田中社長就任。

 

2009年10月、2代目社長の宮﨑邦雄から田中稔彦へ経営バトンが渡されました。
 
田中は1982年に熊本県民テレビに入社し、 営業局次長などを経て2008年に金剛入社。
異なる業界から来た強みを活かし、 新風を吹き込みます。
 
社長就任挨拶では 谷脇の“信用づくり”、宮﨑の“人づくり”で培って きた 62年の歴史を受け継ぎ、
金剛のさらなる 発展に努めたいと、 新しい企業理念を掲げました。
 
「安心と先進で社会文化に貢献する」
 
“「金剛の製品は安心して任せられる」そのお客様の声こそが、
金剛ブランドを発信する原動力です。
また、移動棚Zや免震技術に代表されるように
我々には失敗を恐れず先進技術に挑戦 する知恵と技術があります。
 
「安心」と「先進」。
 
この二つを大切にし、社会文化の発展に貢献 する― そんな企業であり続ける事を目指します。”
 
(2009年10月 田中新社長就任挨拶より)
 
 
就任挨拶をする田中新社長

就任挨拶をする田中新社長

 
 
 
(2016年11月1日掲載)
 

2014年  進化

〜67年目〜 空間づくりから価値づくりへ。

 

 
現在は「空間づくり」に取組んでいますが、 さらに高みを目指し、
“何のためにその空間を求めているのか” と思いを深め、
空間を作るだけではなく、その先にある価値を高めていきたいと思います。
 
そのためには、
“一人一人の社員=金剛である” という前提のもと、
お客様の期待や社会の要求に応え、 新しい価値を提供していく事です。
 
創業以来築きあげてきた技術と信頼が失われることなく、 
この先も永続的に社会に必要とされる企業であるために、
「価値づくり」を目指して、 
企業理念「安心と先進で社会文化に貢献する」金剛へ 成長を図ります。
  
(2014年9月19日 65期決起大会 田中社長による金剛10年後 のビジョンより)
 
 
 
 
 
 
 
(2016年12月1日掲載)
 

2015年  継承

〜68年目〜 新ロゴマーク制定 

 

 
2015年9月24日に開催された66期決起大会にて、
翌期に迎える創業70周年に向けて、
これまでの時代の継承と新たな時代のスタートを意識した新ロゴマーク制定の発表がありました。
コンセプトは下記の3つです。
 
「安心と先進で社会文化に貢献する」
「空間をデザインする」
「価値づくり」
 
 
金剛株式会社ロゴマーク
形状①(縦横) :安定した横型の四角い形状。会社としての力強さ。
形状②(比率) :空間をデザインし、美しいものづくりをするという
         意味を込めた黄金比。
形状③(構成) :移動書架が開き、お客様の未来(価値づくり)へと
         続くさまを「K」になぞってデザイン。
形状④(三角形):お客様・社会・文化・会社の未来をつくり、支えて
         いくというイメージ。
形状⑤(その他):国際競争力のある企業、団結力から連想した旗の
         イメージ。
色①(ブルー) :コーポレートカラーの継承。清らかさと安心・安全、
         そして先進。世界へと続く空。
色②(ネイビー):信頼と誠実、そして知性と冷静。社名の由来である
         金剛山から連想する陰影。
色③(ホワイト):清潔さと美しさ。美しいものづくりの象徴。世界へ
         と続く雲。  
 
 
 
  (2017年1月5日掲載)
 

 
 
 

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 2017年2月18日 創業70周年