「人づくり」発想の根源

宮﨑邦雄社長は昭和56年3月にトヨタ自動車販売㈱(昭和57年7月工販合併、現トヨタ自動車)から金剛㈱に転入、取締役社長室部長に就任、同60年12月に常務取締役、61年12月に代表取締役専務・営業本部長、平成3年10月に代表取締役社長に就き、現在に至っている。
トヨタでは、トヨタ自販労組(6000人)副委員長、全トヨタ労連(現30万人)中央執行委員兼調査局長(後任者は直嶋正行現参議院議員)など労組活動でも頭角を現したが、本職の方でも車輌第三部カローラ店課長補佐、あるいは企画調査部企画課長補佐として、カローラの国内マーケティングの主担当を勤めたり、トヨタ自販改革を手掛けたり、トヨタ・フォード、トヨタ・GM関係に手を染めたりして敏腕を振るっていた。トヨタには早稲田大学法学部を出てから足掛け14年いたが、請われて転身した。そのときの気持ちを宮﨑はこう書いている。
あれは8月の暑い日の午後だった。岳母ユミ子が訪ねてきた。『夫婦で努力した甲斐あって今はそれなりの会社になった。だが、後を継いでなお発展させてくれる人がいない。引き受けてほしい』と言葉を尽くして懇願した。トヨタに骨を埋める覚悟でいた私は困り果て、仲人役をお願いしたトヨタ自動車工業の小野博康常務(当時)を訪ねた。小野さんは『トヨタにはお前みたいなのはゴロゴロしている。谷脇さんが困っての相談だ。受けてやれ』と。私はこの一撃で望みの綱を失った。数日後、この上は金剛をより立派に仕立てるべしと気持ちを一新した── 日経産業新聞1993年〔平成5年〕7月13日朝刊より転載
14年間トヨタにいた宮﨑は、宣伝・広告・広報・マーケティング・労務・企画と広い分野で経験を積んだが、とりわけ勉強になったのは、販売の神様といわれた神谷正太郎氏が作り上げたトヨタ・マーケティングの考え方を学ばされたことだった。
これは一車種の開発の立ち上げから宣伝、広報、販売、デリバリーまですべてを、一人に集中させるシステム。宮﨑はカローラやカムリの車種を担当している。そうした一連の仕事のなかで、経営不振になった販売店について、財務状況を細かく分析、裏に隠れている原因をえぐり出して再建の処方箋を書くといった経験をしている。そして起きたトラブルにはすべて人が絡んでいるという発見。またM&Aも経験。トヨタ方式を学んだノウハウは、宮﨑の強みの一つになっている。

宮﨑はトヨタで、自販労組の副委員長や全労連中央執行委員・調査局長などを経験している。当時全トヨタ労連には17万人の組合員がいたが、宮﨑はその運動方針を決める責任を負い、その理解活動をすすめ、17万人を同一方向に動かすため文字通り寝食忘れての日々を過した。宮﨑が、組合活動で学んだのは、どんなに巨大なシステムや組織をバックに持つ会社と組合、団体同士の交渉であっても、最後は生身の人間同士のぶつかり合いであり、1個の裸と裸の人間の勝負であるということだった。組織は人間の集団であり、組織を動かしているのは人間なのだから、そのキャップ同士がぶつかり合うとき、生身の裸の人間からほとばしる気迫や力量、スケールの大きさ、迫力といったものが、大きな要素となることを肌身をもって学んだのだ。
トヨタにおけるこれらの体験は一軍を率いる将としての宮﨑にとって、きわめて貴重な勉強になっている。宮﨑が金剛に転入してから強力に打ち出した人材育成の「百人研修制度」、「金剛やる気塾」、凡人を非凡人につくり変えるという「人づくり大宣言」——これらの発想は、トヨタ時代の体験によって強く裏打ちされている、と言っても過言ではあるまい。
人材育成に着眼した理由

昭和56年にトヨタ自動車から取締役社長室部長として宮﨑が転入して以来、金剛の動きのなかで、事あるごとに特別に印象づけられることがある。それは、人材の育成が社全体の大きな目標の一つに据えられていることである。
金剛には、百人研修制度というのがある。これを始めたのは、社員一人、二人を選んで研修会に出すと、帰ってきた当初はみんな目を輝かせているが、しばらくすると元の木阿弥になってしまうことに気づいたからだ。ごく少数の研修では、職場に改革の雰囲気を根づかせたいと思っても、孤立していてなかなかうまくいかない。職場に革新の気風を起こしていくには、より多くの社員に同時に研修してもらって、力を合わせて風を起こしてもらう必要がある。それで“百人”研修としたのであって、できるだけ多くの人たちに参加してもらおうという意味だ。
こうして若い人たちのレベルが上がってくると今度は、その上の層の人たち、マネジャー層のレベルを向上させる必要が出てくる。これが「金剛やる気塾」につながっている。マネジャー層だから金剛の社風というか、金剛らしい一定の気風・風格をもった人物に育ってもらいたい、という狙いも当然必要になってくる。そこでこの研修は、外部に委託してお仕着せでやってもらうというわけにはいかない。金剛独自のカリキュラムで組み立てていかねばならない。
そこで「社学」というようなものも視野に入れながら、社内でオリジナルなカリキュラムを組んでいる。おかげで最近はやる気塾で学んだ成果とみられるような効果も上がっている。
個性ある人材こそ資産

金剛は昭和58年4月に、当時中小企業金融公庫の指名考査役(部長待遇)をしていた笠井恵氏を理事(取締役待遇)として招聘、社の経理・財務の担当を委嘱している。当時これは社内外から思い切った移入人事と、強い関心をもって見られていた。必要な人材なら多少の困難はあっても迎え入れようという個性重視の金剛の人事が窺える。
宮﨑社長は笠井氏を招請したいきさつを次のように語っている。
金剛の経営で、いまのうちに基礎固めをしていく必要があるなぁ、と考えていた時があった。特に財務関係などについては、しっかりした筋の通った方針を立てて仕事を見ていける人材がほしいという思いを持っていた。そこへ笠井さんが辞められると聞いたので、谷脇社長(当時)と相談、金剛にきてもらったらということになった。
そこで翌日の夜、名古屋出張時に連絡をとったら『明日10時にきてくれ』との話。前の晩に大阪に出て、朝から在住の和歌山市にかけつけ『実は財務を見ていただける人がほしいと思っています。来てもらえないでしょうか』と単刀直入にお願いしたわけだ。笠井さんは『分かった。宮﨑君、君のため行くのじゃないよ。金剛のためにいくんだよ』と、その場で承諾されましたね── 宮﨑邦雄社長
即断即決で熊本に来てもらったのはありがたかったが、社としての準備ができていなかったため、住居などで迷惑を掛けたことを今も悔やむ。仕事はしばらく総務を見てもらい、そのあと経理を担当してもらった。その仕事ぶりについて宮﨑社長は、「想像していた通りに敏腕な方で、金剛の無借金経営の道を開いてもらったと思っている。中小公庫では経営分析の経験も長く経営アドバイザーの仕事もしておられた。その経験から、融資を受ける会社側としての財務を、金融機関の立場から見た見方で解剖分析ができ、金剛に金融への対応力をつけてもらえたわけです」という。
グリーンUPる
企業の経営者は、常に先を読むことを強いられる。特に雇用や労働力の動向、質のいい労働力の確保などに関する読みや施策は企業の盛衰にもかかわる。この点、宮﨑社長はなかなかのアイデアマンでもある。
十数年前、当時専務だった宮﨑は、やがて若者が少なくなり加えて職場における女性の地位の向上や人権意識の高まりとともに、いわゆる補助事務を担当する人がいなくなる時代がくるのではないか、と思ったことがあるという。世の中は現在もそういう方向に進んでいるといってよいだろう。
それならばいっそのこと、一歩先んじて女性の戦力化を図ったらどうだろう、ということで、熊本の営業部にグリーンUPる(女性の総合職)という制度を設けた。グリーンUPるとは、オフィスをグリーンでいっぱいにしてイメージをUPする(向上する)という意味。
女性のいいところは、思ったことをズバリ口にして言うことだと思う。男はさまざまなしがらみがあって、ルーズでズボラときているから、思っていても言えない、言わないことがある。その点、女性は率直にものを言うことが多い。そういう女性をどう位置づけていくかがポイントだ。女性を戦力化していくには、男性も女性も一体感をもってやっていくことが必要だと思うが、女性の戦力化そして能力発揮はこれからの大きな課題だろう── 宮﨑邦雄社長
宮﨑流の人づくりの視点に、女性はしっかりと照準されていると言ってよかろう。
グローバル激変の時代
経済状況が非常に厳しい時代である。人によっては、「冬の時代」という人もいる。ところが宮﨑社長は「冬ではない。これからはこれが通常の時代なのではないか」という。
極めて厳しい時代観である。宮﨑社長は「経済活動も社会生活も国家の枠を越えて相互依存関係が進んでいる——いわばグローバル化の時代。従って変化の激しい時代であり、スピードと加速の時代でもある」という。
グローバル・スタンダードから物づくりの立場を見ると、一人当たり(パーヘッド)が重視される時代である。社員が何千人いる、何万人いるというような大きいことが必ずしもいいことではなくなった。一人ひとりが何をしたか、どう考えたか、どうしたかが評価されるわけだから、自助努力と自己責任がものすごく重くなってくる。
こうしたグローバル化の時代に対応して、企業における教育、人づくりもポイントが自ずから定まってくる。変化の激しい時代だから、生産の道具も手法も否応なく変わっていく。
時にはコンピューターでデータを分析したり、米国の企業が時代の変化に対応して何を考えてきたかを調べないと、グローバルな対応ができない。インターネットで米国そのほか外国の中小企業白書を読むとか、技術の背景に潜む思想を分析するといった作業も必要になる。こうした考え方や対応にはどちらかと言えばデジタル思考の得意な人が向いていると言えよう。
グローバル化の時代で、変化の極めて激しい時代であり、デジタル思考の得意な外国人との取引や接触が多い時代だから、アナログ思考のよさを保ちながらもそうしたデジタル思考のできる人を育てていく、あるいは企業内でデジタル思考が得意な人を育成していくということも必要である。
冬の時代の物づくり
グローバルな時代になって、ありとあらゆる物づくりの技術がオープンになり、入手しやすくなっている。そうした技術情報も多い。私たちはそういうものを組み合わせていくことで、新しい技術を産み出すこともできる。問題はユーザーが何を求めているか、というユーザーニーズで、これをどう捉えていくかということが、非常に大事になってくる。ユーザーニーズをキャッチするノウハウを確立できればいいわけだが、これが簡単にはいかない。
宮﨑社長は「問題は何を作ったら売れるかというのが分からないところにある。何を作ったらお客さんに売れるのか、動物的な勘も大切だが時代の流れに則しているかの合理的検証が大切」と。
社内でも売れそうな製品をめぐっていろんな情報が飛び交い、「それは面白い。ひょっとするとネタになるのじゃないか」というのがたくさんある。しかし、それを察知する能力また検証する能力は、いまは個々の人に委ねられている。その人の勘とか経験とか思考課程とかに頼っている。結局は頼ることのできる最後の者は、企業の人材、人ということになる。まさに「企業は人なり」である。
中小企業と技術開発
現代はハイテクノロジーの時代である。中小企業でも確立した技術を持っていれば、大企業にも太刀打ちできることは、幾多の例が示している。大企業より小回りがきいて、素早い対応ができるのが強味である。金剛はその例の一つと言えようか。
宮﨑社長に「中小企業の発展と技術開発の考え方」を聞いてみると、かつて在職したトヨタ自動車の経営の動きを鋭く観察して、そこに時代の動きを読み取り次のように語る。
これからは大企業でもいくつかの中小企業の固まりみたいになっていくのではないか。トヨタの動きをみていると、中小企業を周辺にいっぱい作っている。中小企業からの情報や発想をトヨタのトップ層が直接つかんで参考にしている。例えば新しい開発をやるとすると、周辺の中小企業が手がければ、トヨタ本体でやる4分の1くらいの期間でやってしまう。コストも中小企業では、いろいろ工面をして半分くらいに抑えてしまう。中小企業で一生懸命に知恵をしぼるわけ。ある意味では中小企業が面白いというか、魅力があり、自分の活動状況がよく見えて、非常にやりがいがある── 宮﨑邦雄社長
そこから宮﨑社長は、つぎのような「中小企業哲学」を引き出す。
これからの企業活動の課題としてグローバル化とスピード化が挙げられるが、中小企業だからといって狭い地域だとかばかりにかかわっていれば十分というわけではなく、グローバルな考え方、国境を越えて物ごとを考えていくことが必要。それをやるにはさまざまな外国の情報に接することが欠かせない。インターネットでグローバルな情報へのアプローチをすることも必要だ。
しかし、中小企業ではこうしたさまざまな、経営や技術の情報をコーディネートして組み合わせていく能力のある人がなかなかいないし、集まらない。従ってこういう能力を持った人材を育てることができれば中小企業は非常に強くなれると言ってよい。
コンピューター時代の企業経営に関して四つのキーワードがある。①ダウンサイジング(小型化)②ネットワーキング(連携システムを組む)③アウトソーシング(部品などの外部調達)④エンドユーザーコンピューティング(最終利用部門が自部門の情報システムに対して設計、構築、運用などすべてを主体的にマネージすること)というのだが、これらをコーディネイトしてうまく組み合わせることができれば、大きな効果が出せる。
例えばダウンサイジングだけでは、ゴマメの歯ぎしりに終わってしまう恐れもあるが、いくつかの中小企業がネットワークを組んで大企業に対抗する。ただ、そうした連携を組んでいくには、コア・コンピタンス(Core Competence=競争有利性=自他ともに認め、認められるものが必要)がないと、うまくいかない。熊本の企業は、どうもこの点で弱いところが多い。10年、20年と続いている企業には、自認してもいるが第三者も認めているコア・コンピタンスがある。これがない企業は没落していく。
これがある企業は、お互いにアウトソーシングの受発注をしたり、連携システムを組んだりで、困難な時代を乗り切っていくことも可能である。
コンピューター化の歩み
金剛のコンピューター導入は、昭和56年にオフコン(RICOM)を使用して営業管理を稼働させたことに始まる。生産設備関係のFA(ファクトリー・オートメーション)化やFMS(フレキシブル・マニファクチャリング)化に関しても、比較的に早い時期から関心を払ってきており、その時その時に応じて取り入れるべきものは取り入れてきている。
昭和57年には生産関係部門でDEMOSの使用が始まった。これは電電公社(現NTT)にあるホストコンピューターと金剛にある端末とを電話線で結び、端末から設計のデータを入力して結果を出してもらうというシステムの導入であった。これでも当時としては、煩雑な製品の構造計算や同じような計算の繰り返しなど、たちどころに答えが出てきた。その威力に驚いたものであった。事務系では58年に本社経理のOA化が完了、全面稼働が始まった。
61年に生産部門に次のコンピューター導入化の波が押し寄せる。CAD(コンピューター支援による製図)システムである。
次のステップは、昭和63年から平成元年にかけてのオフコンAS/400の導入と、そのオンラインシステム化である。オンラインによって、金剛は本社をはじめ支店・営業所など、全国に散在する拠点の販売・経理・管理など会社経営の根幹となるビジネスが結ばれ、各拠点とも同時に同一の資料・データが揃えられ、同じ土俵の上で仕事が進められるようになった。
オフコンAS/400導入によって、全社の繁雑な業務がすっきりと標準化、統一化されて、誤解や間違いの入り込む余地がほとんどがなくなった。実はメリットはそれに止まらず、もっと大きな効果をもたらしていたのである。
その効果というのは、経営の細部のデータなり資料なりが、時を失することなく、経営幹部の目に「見える」ようになったことである。経営には瞬時の判断を迫られることも多い。その場合に、細部の資料が判断を支えてくれることになるかもしれない。オフコンが高度化され、オンラインで結ばれると、第一線の拠点からも本社へ情報が、ドンドン送られるようになってくる。かくして情報が時期を失することなく広く共有化され、より適切な判断が可能になる。
オフコンの高度化によって情報の共有化のベースがグンと広がることにはなった。しかし、この段階ではまだ情報が届くのは企業の幹部だけで、情報を本当に必要とする社員、セクションにタイミングを失わず情報が漏れなく伝わって、状況の変化に応じて判断ができ対応が取れるようになっているとは言えない。
そこで情報システムの共有化をさらに進め、いわば体の隅々まで行き渡った神経のようなシステム化が求められている。こうした要請に基づき、金剛で構築されたのは、平成6年9月にスタートしたイントラネット・社内電子メール(Eメール)「ワイズプラネット」である。
Eメールは一度に複数の相手に送信できるし、IDナンバーとパスワードを知らないと情報を引き出せないから、機密保持の点も心配はない。
ともかく情報伝播のスピードを早くすることは経済のグローバル化が急速に進んでいる今日、企業の状況変化に対する素早い対応、あるいは危機管理の面などで、極めて有効な対処方法であるし、切実な問題でもある。
Eメール活用の次のステップとして登場してくるのは、一層高度なイントラネットの構築問題であろう。これは各拠点のLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)を回線で接続して、より大きなLANとして運用するものである。金剛は平成10年4月に一層バージョンアップしたイントラネットの構築に着手、「ワイズプラネット2」と名づけている。
ワイズプラネットは事務系コンピューターやソフトの高度化とは異なる。
金剛では経理事務の効率化、財務事務の合理化からコンピューター導入が始まった。そのうちに段々と生産情報や営業情報、その他の情報が取り入れられていくようになってきた。「ワイズプラネット2」になってくると、事務やビジネスの情報がよりスピーディーにより広範囲にわたっていき経営組織の見直しの声まで上がってきている。
さらに情報の共有化を求めてイントラネット普及の勢いが強まると共に、インターネット経由で情報を検索し情報収集をする人が増えていく。平成10年3月より「ワイズプラネット2」は専用線を引いて構築するようになり、音声モデムも噛ませてこのビジネスユースも、電話を使っても年間コストでかなりの節約ができるようになった。
宮﨑社長に「現代の企業におけるコンピューターの役割は何か」と問うと、「信長時代の鉄砲のようなものだ」と答える。
信長は、自分で実際に鉄砲を撃って、この兵器の特徴・利点をよく踏まえたうえで戦に使った。そこが信長の偉いところだった。つまり鉄砲の前と後とでは、戦さに対する考え方が一変したことに、思いをめぐらすことができるかどうかだ。現代の鉄砲一つは情報武装化である── 宮﨑邦雄社長
信長は新しい考え方や道具をどんどん導入して戦さや政治に使った。もし、新しい考え方や道具が分からないようになったら、意図しようとしまいと自然に次の時代のリーダーにバトンタッチされる。「これは現代の企業のリーダーにも不可欠な人生哲学ではないか」と、宮﨑社長は考えている。
海外市場への取り組み
海外との取引や海外進出は、ある種のロマンみたいなものがあって利益追求は二の次のこともあった。戦後、海外取引をしてきた日本の企業は多いが損をしてきているところも多い。海外進出をみると、その国の商法、商習慣などほとんど知らないで取り組んで、苦労をしてきている。先の敗戦の教訓が生かされてないと言えるのでは。
こうした中で中小企業が、海外に進出する、あるいは外国企業と提携していくという意味は、どこにあるのか、しっかり考えておく必要がある。
金剛はデンマークのBCI社と業務提携をしているが、これは、金剛がグローバル・コアコンピタンスとして何を持っているか、BCI社のグローバル・コア・コンピタンスは何なのかを、しっかりと突き詰めて、業務提携が望ましいという結論が出たからである。
金剛は開架書架、免震技術や収納技術などシステム技術にコア・コンピタンスがあり、BCI社は開架書架、木製の図書館家具、レイアウト、デザインなどのソフトウェアにコア・コンピタンスがある。両社が手を組んで補完し合いながら、世界の図書館の需要を開拓していけば、可ならざる道はない、と考えられる。これが金剛の海外進出の考え方の基本である。
県環境保全協議会の役割

宮﨑社長は十数年前から、産業廃棄物・一般廃棄物をどう処理するかについて考える、県の諮問委員会に関与してきた。金剛自体が塗料や薬剤を使っており、環境問題には関心も深かった。県の方から関係事業者が一緒になって環境問題を考える場を作りたい、という相談があって、平成7年3月に熊本県環境保全協議会を立ち上げた。176社でスタートして11年2月現在、212社が参加している。
協議会では当面は環境ISO-14001を県の主たる事業体が取得することを一つの目標にしている。最近、事業体にとって環境問題は、問題の解決や改善に努力することが、そのまま経営改善につながる、と考えられるようになってきている。
例えば企業で年間1000枚のコピー用紙を使っているとすると、用紙の節約は森林資源の保全につながるという考え方から、今年は800枚に減らすようにみんなで努力しよう、そしてISOの取得にみんなで取り組もう—という機運が生まれると、環境問題が社員みんなの気持ちを高めていくキーワードになり、業務改善のメリットも生じてくる。ISO-14001を広げていくことが、県下の経済活動にとっても好ましいことになる。
宮﨑社長は、これまで県の経済界の運動などにはしばしば参加しているが、そうした運動が提言とか提唱とかリップサービスに終わって、具体的な成果にまで至っていない例が多い印象を受けている。
県環境保全会議では、公害防止管理者国家試験受験講習会・環境庁指導の民間環境推進員養成講習会・水質保全関係法令研修会・悪臭防止法改正研修会・熊本県環境基本計画研修会など各種の勉強会や優良施設見学会を開き、具体的にISO-14001を着実に広げていく活動を展開している。
ISO-14000シリーズが環境管理問題で、この他に9000シリーズの品質、16000シリーズの労働安全の規格があり、県環境保全協議会としては「環境ISO取得50社」を目標にしている。
宮﨑社長は「金剛は平成10年12月にISO9001の資格が取れたが、次は14000シリーズへの挑戦も必要」と言っており、「ISO国際規格の取得は、県下の企業自体の向上に直結するメリットもあるし、環境保全や改善にもなる活動であるから、企業から企業へと広がっていくことを期待している」と語っている。
原本 P.134〜139