年をタップすると、その年の記事が開きます。
1974年KONGO 27年/昭和 49 年省スペースの決定版「スーパー移動棚Z」登場
昭和42年に研究を始めた移動棚が、七年の歳月を経て世に出る。石油ショック直後、省エネルギームードが一挙に高まったその瞬間に、金剛は“最後の商品”を発表した。
◆ 金剛の歩み
- 2月18日省スペース・省力移動棚の決定版コンゴースーパー移動棚Z発表。熊本を皮切りに全国各地で展示発表会を開催。画期的な新製品として注文が殺到した
- 6月1日広島営業所移転
- 6月東京ショールームを六本木に開設
- 7月1日名古屋営業所移転
◆ 日本・世界の動き
- 1月日本赤軍がシンガポールの石油タンク爆破。クウェート日本大使館襲撃
- 5月インドが初の地下核実験
- 8月ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任
- 11月フォード米大統領が現職大統領として初めて来日、天皇と会見
- 11月金脈問題で田中角栄内閣が辞意。椎名裁定で、三木武夫内閣が発足
省スペースの決定版登場

昭和40年代後半、金剛が社を挙げて開発に取り組んでいた製品の一つがスチール製移動棚。この製品開発の中心課題はスペース効率をいかにして高めるかということと、重量物の乗った書架や倉庫棚をできるだけ簡単に動かす方法の開発だった。そのころの他社の移動棚の開発状況をみると、既に手押し式も電動式も製品化されていたが、製品として成熟しておらず、電動式など故障が多くて、まだ粗悪品のそしりを免れなかった。金剛はもっと性能がよく、作業性の優れた製品はできないものかと、昭和42年に研究を始めた。まずは手押し式で究極の製品を出そうと方針が決まる。
当時の金剛は、まだ「これは!」という有力商品は少ない時代。産みの苦しみが始まる。高橋製造部次長(当時)は、「谷脇社長は毎日のように工場に現れ、叱咤激励され、完成はまだかと矢の催促だった」と述懐する。
小森開発室長(当時)が中心になりチームを組み、工場では手押し式、丸ハンドル式、テコ応用式といろいろな手動方式を研究・比較した。テコ応用も注目されたが、棚の移動スピードが遅く、作業性の面でも難点があった。こうした経過をたどって生まれたのが、手回しの丸ハンドルで動く「移動棚Z」である。
相当な重さのスチール棚を動かすだけでも大変なことだったが、この新製品は重さ60t、16列に並んだ書架を女性でも軽々とハンドル操作で動かすことができた。他の製品に比べ、スペースは3分の1、収納容量は3倍にもなるという、まさに画期的な新製品であった。
しかも発売のタイミングが絶妙だった。熾烈をきわめる業界の競争を考慮して、特許の申請から認可が下りるまでの数年の間、試作品として機動性や堅牢性、確実性などの検証を行い、じっと製品を温めていた。そこへ48年末、日本中を狂乱状態に陥れた石油ショックが起こる。省エネルギームードが一挙に高まり、これが全ての商品開発のコンセプトとして求められるようになった。
そうした状況に「ころはよし」と年明けの2月、これ以上のものはない“最後の商品”という絶対の自信をもってアルファベットの最後の文字を取り入れ「コンゴースーパー移動棚Z」と銘打って新製品の発表に踏み切った。2月の熊本を皮切りに、4月福岡・北九州、5月東京・大分・長崎、6月大阪・名古屋・広島などと矢継ぎ早やに全国で展示発表会が開かれた。折からの省エネの時流にぴったりと合い、県庁、市町村役場、大学、学校、図書館などから注文が殺到した。以来、スーパー移動棚Zは、全国シェアNO.1(※当時の実績です)の製品として、その名をとどろかしている。
全国販売店会議

この年、第11回コンゴースーパー会、全国販売代理店会議は5月27、28日東京新宿の京王プラザホテルで開かれた。国際貿易センターで開催中の「東京ビジネスショー」と期日を平行させて、会議の第1日はビジネスショー会場内に出品展示した「スーパー移動棚Z」を、会議出席者に見てもらうように便宜が図られた。会議には北海道から沖縄にいたる全国代理店の中から、約100社が招かれて参加した。
ビジネスショー会場には、スーパー移動棚Zの「Uタイプ371-307W型9連」「Uタイプ374-307W型4連」に20kgと10kgの原基(重さの基準となる器具)を約10t載せて展示し、代理店に実際に丸ハンドルで棚が軽く動くことを体験してもらった。カタログに説明してある以上に軽く、女性が片手で自由自在に操作できることに、多くの入場者が目を見張って驚き、その仕組みについて突っ込んだ質問が飛び交った。
金剛はロッカー・書庫からスチール棚と金庫の生産に加えて、さらに今回、移動棚Zを開発して、製品の4本柱が整った。しかも移動棚Zは不況でも絶対に売れる商品である。今後とも販売代理店と一体となり共存共栄の道をまっしぐらに進もう── 谷脇社長 全国販売代理店会議で
原本 P.76〜77
1975年KONGO 28年/昭和 50 年ホテルサンルート熊本がオープン
上通1丁目の旧本社跡地に、地上10階の金剛ビルが完成。一方、移動棚Zの設置工事に追われた社員は、1年のうち100日近くを出張で過ごしていた。
◆ 金剛の歩み
- 3月10日金剛ビルの完成に合わせて熊本市下通1丁目金剛ビル内に㈱ホテルサンルート熊本設立。会長に谷脇源資、社長に谷脇ユミ子
- 6月移動棚Zのバリエーションとして Z-CJ型(書籍・ファイル用)、Z-U型(軽量物品用)、Z-M型(中量物品用)、Z-H型(重量物品用)、Z-R型(リール用)カスタム式ハンドルなどを開発
◆ 日本・世界の動き
- 3月山陽新幹線博多駅が開業
- 4月台湾の蒋介石総統が死去
- 4月天草郡苓北町と中国上海を結ぶ海底ケーブル中継所の起工式
- 5月英国エリザベス女王来日
- 7月沖縄国際海洋博覧会が開幕
- 12月動力の近代化に押されSLが姿を消す
ホテルサンルート熊本がオープン

金剛が上熊本の工場に本社を移したのは、昭和46年であったが、本社があった熊本市上通1丁目の敷地はその優れた立地条件を生かして、紀伊國屋書店とホテルサンルートをメーンのテナントに貸しビル業を展開することになり、47年12月13日にビル建設に着工、50年3月に完成した。
同ビルは地階がグルメの名店街、1〜3階が紀伊國屋書店、4階がホテルフロントとラウンジバー・ノーチェ、レストラン銀座亭、5階が会議場および宴会場、6〜10階がホテル客室(108室)である。
金剛ビルは地上2、3階部分で隣の同仁堂ビルと連結し、ジョイントビルとして熊本のビル建築に新風を吹き込んだ。
4階以上のホテル部分については「㈱ホテルサンルート熊本」が経営にあたることとし、3月設立と同時に取締役会長に谷脇源資、同社長に谷脇ユミ子が就任した。谷脇社長はホテル発足2年後の、52年の金剛の社内報(コンゴーNo.17)に、次のように書いている。
金剛は地場産業として郷土と共に一歩一歩地道に歩み続けてきました。その積み重ねが信用を産み、市民の皆様の信頼を育んで参りました。ホテルサンルート熊本は、熊本の中心街という地の利も手伝って、お蔭様で好調な滑り出しを見せていますが、企業としてはまだまだ若く、さまざまな面で模索状態にあると思います。ホテル業の企業としての営利目的と、ホテル業としてのお客さまに満足していただくサービス目的という、二つの目的のバランスをうまく取りながら、各自がそれぞれの責任を果たすのが大事だと思います。先輩企業・金剛の知恵を拝借しながら、他のグループに負けないようお客さまへのサービスと企業の繁栄に努力したいと思います── 谷脇ユミ子社長 社内報「コンゴー」No.17
移動棚とともに出張100日

新製品スーパー移動棚Zを全国に初めて大々的にPRしたのは、昭和49年5月に京王プラザホテルで開いた全国販売代理店会議であった。会議には北は北海道から南は沖縄まで、全国の代理店100社が参加したが、このあとの反響は実にすさまじいものがあった。
社内報コンゴー(1974年12月、No.15)を見ると「コンゴースーパー移動棚Zワンマンショー」だとか「活躍するスーパー移動棚Z、納入実績は急カーブで上昇」の大見出しで会場や納入先などの写真グラフが組まれている。移動棚Zの発注を受けると、その設置工事に全国あちらこちらと遠きを厭わず出張していかなければならない。第一生産課Z班(当時)の徳永徹夫はその状況を「南へ北へ 移動棚とともに」と題して社内報(1976年6月、No.16)に次のような文章を寄せている。
先月、1週間ほど四国へ出張してきました、とか、これからちょっと東京から北陸方面へ仕事で行ってきます、などと言うと、『それはあっちこっち旅ができてよかですね』とよく言われたものである。最近は、何も言わなくても先方から、『しばらくですね。今度はどこへ行ってきましたか』と聞かれる。昨年(昭和50年)など1年のうち100日近くも出張工事に出ていたから、それも当然のことだろう。出張のほとんどすべてが移動棚の設置である。この工事は日数が短く、納期に余裕のないのがほとんどだから、夜10時、12時まで仕事することも珍しくない。そんなわけで、観光地見物などほとんどしたことがない── 第一生産課Z班・徳永徹夫 社内報「コンゴー」No.16
移動棚Zの爆発的人気は、こうした苦労の多い出張工事を黙々とこなしている縁の下の力持ちによっても支えられてきたのである。
原本 P.78〜79
1976年KONGO 29年/昭和 51 年金剛建機が誕生、全員参加の提案制度スタート
建設機械部が分離独立して㈱金剛建機販売に。同じ年、のちに30年続く「全員参加のチャレンジ提案制度」が産声をあげた。
◆ 金剛の歩み
- 8月全員参加の「チャレンジ提案制度」の名称と制度が決まる
- 10月1日金剛の建設機械部が分離独立して㈱金剛建機販売となる
- 11月金剛土地㈱の本社が移転
- 11月25日熊本リコー販売㈱新社屋が落成。県内3カ所に販売拠点を設置
◆ 日本・世界の動き
- 1月中国の周恩来首相が死去
- 2月米国ロッキード社の献金問題公表。日本でも問題化
- 7月田中角栄元首相が逮捕される
- 10月中国でクーデター未遂、江青女史ら4人組逮捕
- 10月最高裁が財田川事件で、再審の道開く。死刑囚では初めて
- 11月政府が防衛費をGNPの1%以内とすることを決定
- 12月福田赳夫内閣が誕生
金剛建機が誕生

金剛の建設機械部が昭和51年10月1日、発展的に分離・独立、㈱金剛建機販売としてスタートを切った。同社は本社を熊本市水前寺1丁目20-17に置き、社長に谷脇源資、常務に喜多秀雄が就任した。折からの建設ブームに乗って金剛建機は“国土を拓く担い手”としての建設機械を提供していく役割を担うことになる。
28年6月、熊本市はかつてない大水害に襲われた。いわゆる6.26水害である。熊本市は泥土の中に埋没し、市民は連日床下に潜り込んで泥土を掻き出す作業に追われた。掻きだした泥は街路に高く積まれて、市民の通行の妨げになったり悪臭を放ったりで、役所も市民もこの泥土をもてあましていた。当時はせいぜいスコップとベルトコンベアを使って、オート三輪車に泥土を積み込むといった肉体労働が主流で、機械力を駆使する作業は片鱗も見えなかった時代である。
金剛に土木建設機械を主とした機械部が新設されたのは、6.26のほんの1カ月前の28年5月である。当初の取扱商品は、ベルトコンベア、ミキサー、削岩機、コンプレッサーなどであった。そうした状況のなかで、災害復旧のブームが起きる。
機械部にとっては、またとない商機の到来であった。というよりは、時代が国土の開発や建設へ動いていることを、いち早く察して、土木建設機械部を設置した、経営者の慧眼を讃えなくてはならない。
復旧ブームに乗って土木建設業の動きが活発化するに伴い、金剛の建設機械類の販売も次第に本格化する。これに拍車をかけたのは、その後の国の開発政策、県の産業振興計画で、金剛の建設機械は文字通り“国土を拓く担い手”として、大きな役割を果たしていくのである。
33年に土木建設機械の花形・ブルドーザーが登場すると、金剛は建設機械のトップメーカー・小松製作所の熊本県総代理店となり、県下にその重機のシェアを高めていった。
社員全員参加の提案制度スタート

第27期(昭和52年)の経営方針の中に谷脇社長は、これまでは「社の指針」として取り上げたことはなかった「提案制度」を取り入れた。
37年ごろから生産計画の効率をあげるためにZD運動(ゼロ・ディフェクト、仕事の欠点をなくす運動)と取り組んでいた。これを一層効果あるものにするには、従業員みんなが仕事の問題点を発見して、解決へ問題提起をしていくことが必要であるところから、当時から「チャレンジ提案制度」を設けて社員の意識の高揚に努めていた。
27期の経営方針では、これを全社員が参加して取り組む、より組織的なものにするため「全員参加のチャレンジ提案制度」と定めた。どんな職場でも、仕事に関する社員の創意工夫は、提案制度のあるなしにかかわらず、良いものは良いと、取り上げて実行しているのが実情であろうが、経営サイドの関心が高ければ高いほど、社員の問題意識も提案意欲も高まってくる。谷脇社長は社員それぞれが金剛の運営に参加しているという意識を高め、より良い製品をより多く作る意欲を持ってもらおうと、「全員参加の提案制度」を組み込んだのである。
この提案制度で工場改善の事務局を務めた上野豊課長代理(開発室=当時)は社内報コンゴー(1977.5 No.17)に次のようなレポートを書いている。
提案制度に先行する社内の活動は、すでに昭和37年ごろからあったが、今回の提案制度は51年3月に起案されて8月から実施、9月初旬に第1回の優秀提案の表彰を行ったのが基になっている。実施当初は毎月10件前後の提案が、コンスタントに寄せられるならば大成功だろうと思っていたが、予想をはるかに上回る数多くの提案がなされている。内容もそれぞれの職場の問題を何とかしたい、という情熱がよく窺えるし、老若男女こぞっての提案にただただ感謝している…(略)。いままでは工場の生産ラインの改善、開発と製品の部分改良が多かったが、将来は新しい製品の開発についての提案などにも範囲を広げていきたい。しかし、製作部門はお客さまとの接触に縁遠いので、これにはどうしても外部の意見を聞く機会の多い営業部門の強力な援助が必要だと考えている。『全員参加の提案制度』という名称にしたのは、そこに大きな意味があると思っているからである── 上野豊課長代理 社内報「コンゴー」No.17
上野豊氏の報告は、高度成長に陰りがさし始めた時代の、企業と社員が一体になって発展を模索する方向の一つを示しているといってよいかもしれない。
熊本リコー販売の新社屋が完成

創立以来、西日本を代表するOA機器トップディーラーとして順調に発展してきた熊本リコー㈱(谷脇源資社長)は、熊本市下南部町に建設していた新社屋の完成を祝って、三善信一三愛会会長・㈱リコー会長(当時)、沢田一精熊本県知事をはじめ地元各界の名士やリコー三愛グループ各社、熊本リコー会会員各社、工事関係者など200人を招き11月25日に新社屋の落成を祝った。同社はわが国の複写機、情報機器の総合メーカーである㈱リコーの熊本県下総代理店として昭和47年10月に創立、県下のみならず九州一円の総合OA機器ディーラーとして業界をリードしてきた。
新社屋はオフィス・オートメーションが今やオフィス・アメニティーへと脱皮、進化しつつあるのに即応して、最新のOA機器を常時展示するとともに、事務改善へ向けての総合的なプランニングやコンサルティング、さらには導入後のフォロースクールなどの機能を備えた「OAプラザ」として建設された。同プラザには、お客様と確かな信頼関係を築いていく拠点の役割を担っていくことが期待されている。
原本 P.80〜81
1977年KONGO 30年/昭和 52 年創業30周年、日本初のアメリカへ技術輸出
創業30年。ニューヨークにショールームを開き、米ホワイト社と特許技術援助契約を締結。スチール家具の本場アメリカへ、日本の業界で初めて技術を輸出した。
◆ 金剛の歩み
- 1月25日ニューヨークのマンハッタンにショールームを開設
- 2月18日金剛創業30周年記念式典
- 2月新型金庫6機種および金庫室用の鉄扉4機種を発売
- 3月18日米ホワイト・パワーファイル社と移動棚Zの技術援助・販売契約を締結
- 世界最大の物流システムを完成
◆ 日本・世界の動き
- 3月本田技研熊本製作所が完工
- 8月日立造船有明工場で世界最大の50万tタンカー完工
- 9月日本赤軍、日航機をハイジャック。過激派同志の釈放を要求
- 11月福田赳夫改造内閣で熊本県選出の園田直氏が外務大臣に就任
創業30周年記念式典を挙行
昭和22年2月18日に熊本で測量器・計量機器の販売店として発足した金剛は、この年、創業30周年を迎え、11月19日に盛大な記念式典を熊本市本山町の興南会館で開いた。
沢田一精熊本県知事、星子敏雄熊本市長、鴻池仙市熊本商工会議所会頭、三善信二参議院議員、増田英夫県議会議長、アルビン・チン米副総領事などの知名士をはじめ、熊本の工業界のリーダーなど多数が参列。谷脇社長が「創業から今日までの30年は激動と苦難の道でした。しかしながら、製品の高度な技術と優秀性が認められて広く海外にまでシェアを広げています。これも一重に皆様方の温かいご支援によるものと、深く感謝しております」と挨拶。
来賓の沢田県知事らから「戦後の厳しい経済情勢のなかで、米国のUL規格を獲得されて海外に進出されるなど、熊本工業界のリーダーとしての実績に深く敬意を表します」などの祝辞が述べられた。
引き続いて記念事業として金剛から贈呈されるコンゴー物品棚「U型371-306(50基分)」の目録が、沢田知事と星子市長に手渡された。
谷脇社長は同日の式典の挨拶の中で、技術の海外輸出について、移動棚Zの製造技術をアメリカのホワイト・パワーファイル社に輸出することになり、3人の技術者が渡米し指導に当たっていることも明らかにした。
日本初、アメリカへ技術輸出

金剛は3月18日、アメリカのファイリング総合メーカーであるホワイト・パワーファイル社(ドナルド・J・ワイズ社長=当時、従業員340人、年間売上高140億円)との間に特許技術援助と製品販売契約を締結、金剛の技術が日本スチール家具業界のトップを切ってアメリカに輸出されることになった。契約の調印式はこの日、ホワイト社のビル・スネードン執行副社長を迎えて、午後2時から金剛本社で行われた。
スチール家具はもともとアメリカが本場で、その技術の対米輸出はわが国業界の長年の念願であった。同業多社の中で金剛がトップを切って初の特許技術輸出を実現したことに日本の業界は画期的なことと注目した。
契約内容は、「ホワイト社は金剛のスーパー金庫と移動棚Zの全米における総代理店となり、今後金剛から製品を輸入販売するとともに、金剛のアメリカにおける特許技術に基づいて、金庫と移動棚Zを製造する」というものである。
この契約で金剛は、ホワイト社から技術料を受け取ることになった。
ニューヨークに展示店を開設

金剛は昭和52年1月25日、ニューヨーク市マンハッタンのビジネス街パークアベニューの建材センタービル1階にショールームを開設した。
主力製品のスーパー金庫、移動棚Zの本格的な北米市場開拓を目的とした、わが国のスチール家具業界では初のショールーム。展示場面積は55㎡。
世界一を誇る物流システム

積層式物品棚は金剛の製品開発の歴史の中で、比較的早い時期に登場している。昭和51年6月の社内報誌(コンゴー1976.6 No.16)に、「積層式物品棚、堂々完成」として“ヤンマー農機㈱九州組立流通センター”を紹介している。金剛は同センターに設置したすぐ後に、同じくヤンマーの中国流通センターから、さらに大きな積層式物流システムを受注、納入している。当時はこれほど巨大な物流システムは滅多にはなかったと見えて、社内報記者は「世界最大の物流システムをコンゴーが開発」と誇らしげに書いている。
積層式物品棚は、最新保管システムの集大成と言われるほど、合理的で総合的な保管システムである。数千数万個にも達する部品を持つ精密機械やエンジンの組み立て現場などでは、部品が過不足しないように、その管理・保管および入出庫には、あらゆる先端的な手法が使われている。
こうした先端技術を要求されるフル装備の積層式物品棚を手掛けたことが、金剛が物流システム分野でユニークな製品開発、生産に乗り出して行くきっかけとなったのである。
電動ラックEを開発
移動棚Zは金剛が背水の陣の決意で開発した製品だけあって、丸ハンドルで簡単に動かせ、ランニングコストはゼロ、故障も少ないと極めて好評であった。しかし、ユーザーが収納したいと考える物品の重量はますます大きくなる傾向も見られ、棚も8連、10連、12連と大型化し、手回しハンドルでは手に余るケースも出てくるようになった。
そこで手回しハンドル式に代わって、棚自体に駆動装置をつけ、押しボタンで自在に移動することのできる電動棚の開発が必要になっていた。そこで1列の棚は12連まで、12連で3列まで一緒に動かせる駆動力をもった電動棚を昭和52年7月に開発、発売に踏み切った。
電動棚で特に問題になるのは安全面での配慮である。この新製品は、棚の列と列の間に人が挟まった場合、棚に付けてある安全装置に体が触れると、棚は自動的に停止する仕組みになっており、極めて高い安全性が確保されている。
電動棚ラックEの開発によって金剛の移動棚は次のように3路線がそろい、ラインアップが完成した。
移動棚トリオ
- 手動式 ── コンゴー移動棚S/コンゴースライドU
- ハンドル式 ── コンゴー移動棚Z
- 電動式 ── コンゴー電動ラックE
原本 P.82〜83
1978年KONGO 31年/昭和 53 年提案制度が実り、工業所有権は県内の24%に
全員参加のチャレンジ提案制度が定着。この年の熊本県の工業所有権出願は、金剛一社で県内の24%を占めた。
◆ 金剛の歩み
- 1月全国6カ所で新製品の発表会
- 9月仙台に出張所を開設。初代所長に八木武男就任
- 金剛の工業所有権の特許出願件数は県内の24%を占める
◆ 日本・世界の動き
- 3月中国全人代で新憲法採択、四つの近代化推進
- 4月日本初の放送衛星「ゆり」打ち上げ
- 5月新東京国際(成田)空港開港
- 6月宮城県沖地震で仙台市中心に被害
- 7月円高進み、初めて1ドル=200円の大台を割る
- 8月園田直外相と黄華外相が日中平和友好条約に調印
- 9月中東和平でキャンプデービッド合意
- 12月熊本県がチッソ県債発行開始
社員提案制度で新アイデア

昭和52年に始まった「全員参加のチャレンジ提案制度」は、この30年間、脈々と受け継がれて職場に広く定着し、その件数も極めて多い。
提案の内容は、①作業工程に関するもの、②製品や部品にかかわる改善、③機械設備の改善や開発に関するもの、の順に多く、年間にほぼ500〜700件の提案が出ている。昭和51年から平成9年までの21年間で優に1万5000件を超えている。
提案しやすいように社の方でもいろいろと工夫をしている。例えば、工場現場などには提案を文書化するのは苦手という人も少なくないので、そんな場合は提案制度事務局の係(多くは現場の課長クラス)が聞き取って、文章にまとめるというきめ細やかな配慮がなされている。
こうした社員の協力は、金剛の工業所有権の出願、獲得状況に反映している。平成9年1月現在で外国特許55件、国内特許が140件、実用新案489件、意匠304件、商標53件もの数字となっている。全員提案制度が始まった2年後の昭和53年末には、金剛の工業所有権の出願が、県内の24%を占めたこともあった。新しい技術の開発、新製品の開発に熱心な金剛の素顔を映し出している、と言ってよいだろう。
全国6カ所で新商品の発表会

1月上旬から中旬にかけて全国6会場で、前年の金剛創業30周年記念式典で発表したコンゴースーパー金庫6機種、ならびに金庫室用鉄扉の展示発表会が開かれた。全国の代理店に新製品の徹底、浸透を図るために開かれたもので、代理店のセールスマンが全会場で850人も詰めかけて盛会だった。
各会場には谷脇社長はじめ喜多常務、高橋製造部次長らが巡回出席、会場では新製品の説明や最近の金庫・金庫室用鉄扉の需要動向情報のほか、応酬話法やロールプレイング、全国セールスマンコンテスト・キャンペーンなどもあった。
発表会が開かれた会場は東京(機械振興会館)、名古屋(市公会堂)、大阪(国際貿易センター)、広島(県立産業会館)、福岡(博多スターレーン)、熊本(金剛本社・ホテルサンルート熊本)。
第28期の経営方針を発表

金剛は昨年の昭和52年に創業30周年の年を迎えたが、谷脇社長はその社内記念式典(2月18日)の席で「今後も経済は低成長状態が続くと思われる。30年前の初心に帰って基礎固めが必要である。われわれは常に若々しい青年の企業として、絶えずチャレンジしていかなければならない。『細やかな 心をこめて 30年』——この標語の精神を日常の仕事の中に生かしていきたい」と、第28期の経営方針を発表した。概要は次の通り。
- ①販売網の拡大と共に質的充実を図る。各ブロックの市場特性を考慮し、従来のルート販売を量的・質的に拡充する。
- ②全員参加の製品開発。全社的に展開している全員参加によるチャレンジ提案制度は既に1年有余を経過しているが、今後もこれを地道に展開し「一味違う製品の開発」「700人の眼・耳・手・足の活用」を図る。
- ③社員の質的向上を進める。企業の盛衰は人材の有無、その活用にかかっている。社員一人ひとりの質的な向上が急務である。社員それぞれが最高の実力をつけ、生産性と付加価値の向上を目指したい。
コンゴートピックス ── 丸ハンドル式移動棚Z、県庁売り込み秘話
移動棚Zの開発は密やかに行われていた。営業の第一線の社員でも、すでに丸ハンドルZが開発を終え、パテントの取得、製品機能の検証・再確認を済ませて、自信満々の究極の製品として出番を待っていることを知らなかった。
当時金剛の第二営業部営業二課にいた松村康也(現コンゴー測器営業部長)は、熊本県庁など官公庁の担当で、移動棚の売り込みに大わらわだった。特に県が購入を決めてくれれば、県下の市町村は製品に対する県の品質や性能の評価を信頼して、右へ倣えしてくれる。従って熊本県に移動棚を納入できるかどうかが県下の移動棚商戦の天王山になる。そう考えた松村は、金剛の取り扱い商品になっていたE社の手押しの移動棚を売り込むことを決め、県庁に日参していた。移動棚は文書課が県庁地階に設置することになっており、松村の持ち込んだ話に県側も応じ、契約はほぼ確実に取れそうになっていた。
ところが昭和49年、一斉に金剛の新製品「丸ハンドル式移動棚Z」を売り込めの号令が出たのである。製造部が心血を注いで開発した画期的な新製品と聞かされた。それだけでは営業はまだ安心できなかったが、自動車と同じハンドルで軽々と棚が動く現場を見て、これならいけるとはっきり確信が持てたという。
さっそく県の担当者を上熊本の工場に案内して移動棚Zを見てもらうと、「この方がよか」。すぐにカタログを用度課に出せ、となったが、そのカタログができていない。慌ててモノクロの写真を揃えて提出。製品名も「移動棚Z」は正式に認知されていなかったため、用度課に出した書類には、当時人気があった覆面のプロレス選手Xにあやかって「移動棚X」と書いて出すという具合であった。
こうして県庁には2連5基の移動棚Z第1号が納入された。県に新方式の書架が導入された、ハンドルで動く移動棚が入ったと口コミで伝わり、県下の市町村から県庁のみならず、金剛の上熊本工場にも見学が相次ぎ、販路は広がった。移動棚Zをめぐる県庁への納入商戦は、文字通り天王山の戦いだった。
原本 P.84〜85
1979年KONGO 32年/昭和 54 年業界初、移動棚の耐震テストを実施
宮城県沖地震を契機に、鹿島建設技術研究所の大型振動台で業界初の耐震テスト。震度5〜7の実験のなかで、耐震移動棚Zはその性能を立証した。
◆ 金剛の歩み
- 1月社内報「コンゴー」に代わり、「ひまわり」を創刊
- 2月13日〜2月17日鹿島建設技術研究所で業界初の移動棚耐震実験を行い、耐震仕様を確立
- 4月3日タイのセンファー社へ金庫技術を供与、援助契約を締結
- 5月9日シンプル感覚の壁面収納家具ユニットV、スライドVの新製品を発売
- 7月1日佐賀出張所を開設。初代所長に託麻龍一就任
- 10月1日測量器械、計量機器部門を独立分離させて㈱コンゴー測器を設立
◆ 日本・世界の動き
- 3月米国スリーマイル島原発事故
- 5月英首相にサッチャー氏就任
- 9月阿蘇中岳爆発、14人死傷
- 10月省エネルギー法施行
社内報「ひまわり」を創刊

金剛の社内報には、これまで昭和40年1月に創刊した「コンゴー」があったが、55年5月に発刊したNo.18の創業30周年記念式典特集号を最後に幕を閉じ、代わって社内報「ひまわり」が、この年1月に創刊された。喜多秀雄常務(当時)は創刊号に次のように書いている。
静かに自分たちの職場を反省するとき、チームワークは十分と言えるかどうか、さらに他の職場との連携はうまくいっているかどうか、上下間の意思の疎通や統一は十分かどうか。問題点はかなりあると思う。ではどうすればよいか。その答えを出してくれるのが、社内報『ひまわり』ではないだろうか(中略)。円高基調の続くなか、国内のシェア競争はますます激しさを加える時代である。社員同士のコミュニケーションを一層深め、職場の結束力を高めてこれを乗り切っていこうではないか── 喜多秀雄常務 社内報「ひまわり」創刊号
「ひまわり」に託した当時の経営幹部の切実な思いが伝わってくるようである。
移動棚の耐震テストを実施
日本は世界有数の地震国である。移動棚の先発メーカーである金剛は、常々地震に際して棚そのものの安全や、収納する物品の安全の確保については、メーカーの責任において対処すべき問題が多々あると考えていた。たまたま昭和53年6月12日、宮城県沖地震(M7.5)が発生、27人がブロック塀の倒壊などで死亡、1172人が負傷、建物の全半壊は5843戸にも及んだ。
このとき、移動棚にも地震対策が必要ではないか、という意見が生産現場から上がった。これ以前にも地震対策を考えるチャンスが2回ほど訪れている。1回目は、移動棚を初めて世に問うた49年に伊豆半島沖地震が起きたことから、移動棚が振動に対してどのような動きをするか突き止めておきたい、と、その応用解析が52年に行われている。53年1月14日にも伊豆大島近海地震が発生、ますます研究着手を急ぐ必要に迫られていた。そこへ、6月12日の宮城県沖地震の発生である。時を移さず研究を始める必要があった。
そこで54年2月13日〜17日に、鹿島建設技術研究所の全面的な協力を得て、業界では初めての移動棚の耐震テストを実施した。同研究所は、世界で唯一の水平・垂直同時加振型の高性能大型振動台を備えている。業界初の耐震テストであるだけに、困難をきわめたが、無事にテストに成功した。
このテストでは、昭和15年、米国カリフォルニア州エルセントロで発生した地震波や53年の宮城県沖地震波を再現して、移動棚が地震時にどのような状態になるのか、綿密な調査・テストが繰り返され、耐震移動棚Zは震度5〜7の実験のなかで、その優れた性能を立証したのである。
タイのセンファー社に技術援助

金剛は4月3日、金庫・鉄扉製品の生産に関する技術とそのノウハウを供与する技術輸出契約をタイのセンファー社との間で結んだ。
これによってタイでも金剛の金庫・鉄扉製品が生産されることになった。同時にこの契約の斡旋に当たったタイ企業共栄実業公司を含めた3社の共同出資で販売会社を設立し、東南アジア、オーストラリアなどで販売活動を行い、最終的にはヨーロッパ地域での販売拠点にする計画であった。
壁面を有効利用した新製品

オフィスや事務所の壁面に置くと収納家具にもなり、間仕切りにも使える「壁面収納家具ユニットV」を、5月9日に発売した。オープン書庫タイプ、両開き書庫タイプ、ガラス引き違い戸書庫タイプ、キャビネットロッカータイプなど6機種あるが、サイズ、規格などが統一されており、並べて配置しても家具調の落ち着きがあり、各ユニットの組み合わせでスペースが有効に活用できる。
同時に、3列目の棚は固定されているが、1、2列の棚は左右にスライドして開けられる省スペース型の「スライドV」も同時に発売された。これらの製品の発売をきっかけにして、金剛の収納家具分野への進出が始まった。
コンゴー測器を設立

10月1日には、測量器械・計量機器などを取り扱っていた特機課とサービス課を独立分離させて、㈱コンゴー測器を設立した。業務の拡大に伴って、専門的な販売活動が必要になったための、グループ8番目の関連会社の誕生である。
社屋は熊本市錦ケ丘20の1、資本金は1500万円。取扱商品は測量器械、気象関係機器、製図機器、測量関係雑品やオフィス用品。創立式典は10月9日、ホテルサンルート熊本で開かれ、政財界の知名士が多数集まって、コンゴー測器のスタートを祝った。
原本 P.86〜87
1980年KONGO 33年/昭和 55 年世界初のスライド鉄扉と超強力金庫999
「鉄扉を横にスライドさせたらどうか」——技術陣の素朴な発想から世界初の製品が生まれた。年商100億円をめざす「1-0-0-6プラン」も動き出す。
◆ 金剛の歩み
- 5月7日米国ディーボルト社と金剛合作の防盗用金庫「超強力999」を発売
- 5月14日引き戸式金庫室用鉄扉「コンゴースライド鉄扉」を発売
- 6月9日タイのセンファー社とバンコクに合弁会社タイ・コンゴーカンパニー設立
◆ 日本・世界の動き
- 6月大平正芳首相急死で内閣総辞職
- 6月初の衆参同日選挙で自民が圧勝
- 7月モスクワ五輪開幕。日米など西側諸国はボイコット
- 8月県北中心に集中豪雨。熊本市などで6000戸浸水
- 9月イランとイラクが全面戦争に
- 9月ポーランドで自主管理労組「連帯」創設
- 12月ジョン・レノンが射殺される
世界初のスライド鉄扉を開発

金庫の鉄の扉は前に引いて開けるもの、というのがこれまでの常識だったが、横にスライドさせたらどうか——技術陣の素朴な発想が世界でも初めての画期的なスライド方式の「コンゴースライド鉄扉」を生み出した。従来の鉄扉は開けた場合、鉄扉の裏面が見えた状態になるが、スライド方式だと常に正面を向いているので、また、従来の鉄扉のように扉の前に開閉に必要なデッドスペースがいらず、狭い空間も有効に使える。
コンゴースーパー金庫が獲得したUL(米アンダーライターズ研究所)規格の技術を活用して耐火性能は万全で防水性も十分、精巧な“1億変換ダイヤル符号錠”を2個装備し、さらにリ・ロッキング(自動再施錠)装置も備えて防盗性能も完璧な新製品である。
小型店舗時代にあって、接客スペースを広く取れるコンゴースライド鉄扉は、金融機関や貴金属店などで大変な好評をもって迎えられた。この鉄扉は、昭和59年に「'84発明奨励賞」を受賞している。
スーパー金庫999発売

金剛は前年、世界最大の金庫メーカー、米ディーボルト社と業務提携契約を締結、両社の間で技術者の交流を含めて業務の提携を進めていた。巨大メーカーとタイアップして、より良い製品を開発していくのが狙いで、この5月7日、従来の技術に加えてディーボルト社の新技術を導入した画期的新製品の第1号「コンゴースーパー金庫超強力999(スリーナイン)」を完成、発売した。
999は、巧妙な手口とさまざまな破壊工具の発達で頻発している盗難事故に対して、万全の防盗性能を誇る金庫である。超硬ドリルやガス溶断などに対抗できる特殊鋼、インパクトネットなどを全面に入れているほか、特殊な耐錐シリンダー錠およびリ・ロッキング(自動再施錠)装置を採用し、超強力金庫999の中に防盗金庫を入れるという方法で、二重三重に安全性を確保している。
タイ・コンゴーカンパニーを設立

金剛は前年4月、タイのセンファー社に対して金庫の製造技術を供与する技術援助契約を結んでいたが、この年6月、同社との間に、生産拠点として合弁企業のタイ・コンゴーカンパニーを設立した。設立契約書の調印は、谷脇社長が同月、バンコクを訪問、現地で行われた。
同社は事務所をセンファー本社(バンコク・サムランラージェアハチャイ通り)に置き、社長にはピチャン・タンティシリワット氏が就任。資本金は1億2000万円。
第3次中期経営計画を発表
この年10月、谷脇社長は3年後の33期に年商100億円を達成し、経常利益率を6%まで上げようという「1-0-0-6プラン」を発表した。
谷脇社長は「100億円という数字はスチール業界においては中堅企業の目標数字、一つの目安になっている。無理なジャンプという声もあるかも知らないが、チャレンジしようと思っている」と新たな経営計画へ全社員が総力を挙げて挑戦するよう要望した。
さらに、「金剛はユニークな新製品スライド鉄扉と超強力金庫999を送り出したが、鉄扉は早くも全国から注目されている。今後も新製品の開発はメーカーの使命として積極的に取り組んでいく。そのために、有名な電子工学の権威者を招いて技術指導をお願いする態勢を取っている」と新製品の開発にも強い意欲を表明した。
原本 P.88〜89