COMPANY
本記事は、金剛株式会社が2005年02月01日に発行した機関誌「PASSION Vol.29」の内容を、当時の記録として公開するものです。
・ 記事内の情報は発行当時のものであり、現在の状況とは異なる場合があります。また、当時の社会情勢や倫理観を反映した表現が含まれている可能性があり、現代の基準に照らし合わせると一部不適切と感じられる箇所もあるかもしれませんが、資料的価値を考慮し、原文のまま掲載しています。
・ 掲載されている商品やサービスは、既に販売・提供を終了している場合があります。現行の製品については、改めて最新のカタログ等をご参照いただくか、弊社までお問い合わせください。
※ 本記事は、著作権法上の引用の範囲内で掲載しています。当時の記録として、皆様に楽しんでいただけましたら幸いです。
緊急特報1~また生まれた新たな伝説。



輪の中心にあったのは、省スペース・省力移動棚の決定版として発表された「コンゴー移動棚Z」。
その画期的な操作性に注文が殺到。コンゴーの血と汗の結晶が開花した瞬間だった。
移動棚Zデビュー!昭和49年。
社運をかけた挑戦。試行錯誤が生んだ、丸ハンドル。
人力応用の移動棚としては、手押し式、てこ応用式など、さまざまな方式があった。技術陣は、もっと楽にもっと簡単に動かす方法として、ハンドル式の研究に没頭。遂に自転車の駆動の応用に解決策を見い出し、ある仕組みへとたどりつく。それが、今や移動棚の原点となった「丸ハンドル式」だった。
ハンドルを回すと自転車のようにレールの上を軽快に棚が動くという仕組みである。丸ハンドルの利点は、どこからでも握ることができ、手首にも無理な力がかからないこと。始動や停止もスムーズだ。しかも突出部がないため、安全性も高い。
またハンドル径を大きくし、ギアも工夫することで、16列に並んだ60トンの移動棚を、女性が楽々と動かせるものができあがった。固定式の棚に比べ、スペースは三分の一、収容能力は三倍になった。
「Z」の名にこめた大きな自信。オイルショックも追い風に。
コンゴーの技術の結晶であるこの製品を、いつ発表するのか。そのタイミングが新たな問題だった。熾烈な開発競争を繰り広げている業界。簡単に真似されてはたまらない。また失敗も許されない。特許を出願し、登録されるまでの間、試作を繰り返し、機動性や堅牢性などの検証・改良を重ねながら、その時を待った。
そこへ、待ちに待った追い風が吹く。昭和48年末、オイルショック到来。全国を混乱に陥れたこの事態は、一方で、省エネルギーという気運ももたらした。あらゆる業界で商品開発のコンセプトに「省エネ」「省スペース」が求められるようになったのだ。コンゴーの新しい移動棚は、そんな時流の最先端にあるといってよかった。
そして昭和49年2月、満を持して発表。新製品の名は「コンゴー移動棚Z」と命名された。Zは、アルファベットの最後の文字。「これ以上のものがない絶対の製品」という熱い思いがこめられていた。
全国キャンペーンを展開。 南へ北へ、移動棚とともに。
技術陣の大きな自信は、営業陣のほとばしるエネルギーとなった。地元熊本で2月に発表するやいなや、4月には福岡・北九州、5月東京・大分・長崎、6月大阪・名古屋。広島など、全国を行脚しての展示発表会が次々と催されていったのだ。
展示会場には、実際の「移動棚Z」を持ち込み、10トンもの重りを載せて、丸ハンドルでの操作を体験してもらった。カタログでは表現しきれないその「軽さ」を伝えるためだった。女性が片手で自由自在に操作する光景に、誰もが目を見張った。
とりわけ5月に東京で行われた全国販売店会議での反響はすさまじかった。北海道から沖縄まで全国の販売店当時の約100社が参加。国際貿易センターでの「東京ビジネスショー」会場内に設置された「移動棚Z」の周囲には黒山の人だかりができ、場内はコンゴーのワンマンショーと化した。
こうした展示会の効果は絶大だった。県庁、市町村役場、大学、学校図書館などからの注文が殺到。生産や設置工事を担当する技術者たちは、うれしい悲鳴をあげた。注文は全国一円からやってくる。技術者のなかには、1年のうち、出張工事が100日を占める社員も現れるほどだった。





(2005年2月刊行)
