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本記事は、金剛株式会社が2005年02月01日に発行した機関誌「PASSION Vol.29」の内容を、当時の記録として公開するものです。
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そして確立したコンゴーの免震技術は、図らずも阪神大震災で立証されることになる。
驚きの声と「地震に強いコンゴー」の名が、全国へ広がっていった。
阪神大震災。その時、移動棚がいつものように立っていた。
トヨタ式発想法で、世界初のセンターロック方式を採用。
「センターロック方式」(世界パテント)は「移動棚Z」発売開始10年後の昭和59年新たに開発された。この開発により「移動棚Z」の販売実績はさらに飛躍した。それまではシステム上、容易にロックできなかったが、ロック装置を丸ハンドルの中央部に設置し、また、自動車のトランス・ミッションの原理を応用して極めて軽く円滑にON・OFFができるようになった。
これは、トヨタ出身の現宮崎社長の若い頃の仕事だった。さらに、色分けによって、ロック状態であるかどうかも一目で判別でき、スピードが要求される時流にぴたりと乗った、技術革新だった。
このセンターロック方式に象徴される、あくなき顧客満足への追及が、移動棚市場におけるシェアナンバーワンを支え続けてきたのだった。

地震対策への執念。「免震」の本格研究はバブル期に始まった。
「移動棚にも地震対策が必要ではないか」という声が、本格的に社内から上がったのは、昭和53年に起った、伊豆大島近海地震、宮城県沖地震の後だった。昭和54年には、耐震移動棚を開発。鹿島建設技術研究所の協力を得て、業界では初めてとなる耐震テストも行った。以来、コンゴーが地震対策に費やしてきた歴史は25年以上、投資額は実験だけでも3億円を超える。その歩みが大きく前進したのは、世にいうバブル景気の真っただ中。オフィスビルの建設が急増し、「移動棚Z」も飛ぶように売れていたなかで、宮崎邦雄専務(現社長)は全社員に呼びかけた。「景気には山と谷がある。好景気の山が高いほど、これからやってくる不景気は深刻だ。今のうちに不況に備えておこう」。
そして各職場から掘り起こされたプロジェクトの中に、「免震技術」があった。「耐震」とは、地震エネルギーに耐える強度を持たせることである。部材の強度や構造そのものの強化がテーマだ。ラック部門ではガセットプレートという特殊な補強板も開発している。だが地震エネルギーは強大。「強さ」の追及だけでは、対応に限界があることもまた事実だった。そこでクローズアップされたのが、「しなやかさ」、つまり「免震」の考え方だった。この発想の転換が、平成5年、業界初の「免震装置」として結実する。
世界初の免震移動棚を支える、安全への3点セット。
コンゴーの「免震装置」には、”3点セット”と呼ぶロック解除装置、ESC装置、リリース機能という3つの特殊技術が結集している。 震度5以上の揺れがあると、まず移動棚を固定するロック装置が解除される(ロック解除装置)。移動棚がレールの上を動けるようにするためだ。動くことで揺れを吸収し、転倒や崩壊を防ぐが、一方で暴走の恐れも否めない。
そこでレールの両端にあるストッパーに近づいたら自動的に棚が止まるようにした(ESC装置)。さらに後輪駆動方式を採用することで、棚が常にレールの中央に動くようにも工夫を施した(リリース機能)。いずれも、当社がパテントを取得しているオリジナルの技術。そしてどれか一つ欠けても、コンゴーが追い求める地震対策を満足させることはできない。
1年分の受注が2ヵ月で。大震災後に寄せられた喜びの声。
そして平成7年1月17日、あの阪神大震災が発生する。最大震度7の揺れが、多くの建物を倒壊した。当時、阪神地区には32ヵ所の会社や役所に、「免震移動棚Z」が納入されていた。嬉しいことに、すべての棚が無事だった。転倒などの被害が全くなかったのである。事実を確認するために納入先へ連絡をとると、多くの驚きの声、感謝の声が寄せられた。
「ビルの壁面の棚や収納家具は吹っ飛んでいたのに、免震移動棚Zだけはシーンと立っていた」「何十万ものデータを免震移動棚Zに保管していたおかげで、我が社のデータ機能が完璧に守られた」「世界に二つとない美術品が助かった。コンゴーさんは世界の文化を守ったようなものだ」評判はあっという間に広がった。震災後の2ヵ月間で、契約数は前年の1年分に達した。


(2005年2月刊行)
