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災害の記憶を未来へつなぐ“懸け橋”として
地域の命を、文化遺産を、アイデンテイティーを守るために

和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議


interview

話し手の写真
話し手:前田 正明 さん(右) 和歌山県立博物館 主任学芸員 和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議 代表幹事/藤 隆宏 さん(左) 和歌山県立文書館 主査(文書専門員) 和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議 副代表幹事    ※所属・役職は取材当時のものです。
 
 

 和歌山県では、文化財等の災害対策に協力して取り組む目的で、平成27年に和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議(以下:和博連)が設立されました。和博連は和歌山県下の博物館をはじめ、図書館、文書館、資料館、研究施設、各市町村教育委員会、県など78の組織で構成されています。
 
 
ー和博連が誕生した経緯を教えてください。
 
 南海トラフ地震が起きた場合、和歌山県は大規模な被害が出ると以前から指摘されてきました。そのような中、平成23年3月に発災した東日本大震災時に、支援のために和歌山から東北へ派遣された学芸員が、現地の博物館組織による災害対応を目の当たりにして「和歌山でも災害対応ができる博物館ネットワークが欲しい」と声を上げるようになりました。しかし、東日本大震災から半年後の平成23年9月、組織作りが間に合わないまま、台風12号の影響による紀伊半島大水害で和歌山県は甚大な被害を受けてしまいました。※1

 この実際に被災した経験を契機に発足したのが、和博連です。
 現在、和博連は将来の災害に向けて、主に以下の3つの活動を行っています。 
 そして、災害時には県内の文化財等のレスキューを行います。
 
※1 死者・行方不明者61人、家屋の全壊・半壊・一部損壊・床上浸水・床下浸水は併せて7933棟。(『先人たちが残してくれた「災害 の記憶」を未来に伝える I 』より)
 
 

和博連の3つの活動
和博連の3つの活動(※クリックして拡大)

 

ー和博連には和歌山県内の博物館以外にも様々な立場の組織が加盟していますよね。
 
 和博連ができるまでは、和歌山県下の博物館をつなぐネットワークがありませんでした。そもそも和歌山県内に博物館が少ないからです。ですから、和博連に博物館だけでなく、図書館や各市町村の教育委員会などにも参加してもらうことで、県下の全域をカバーしようという狙いがあります。予算の少ない館や、専門職員のいない市町村の教育委員会にも参加しやすいように会費は徴収していません。
 
 
和博連の体制の図
和博連には、博物館施設、県や市町村の文化財担当課、文書館、私立の資料館、ボランティア団体である歴史資料保全ネット・わかやまも加入している 
大規模災害時は被害対策で相互協力し、県外からの応援による文化財レスキュー時には地元の受け皿の役割を果たす(※クリックして拡大)
 
 
一平成23年の紀伊半島大水害の反省を踏まえて、和博連ではどのような仕組みづくりを行っていますか。
 
 和博連設立のきっかけである紀伊半島大水害の際は、公的な博物館ネットワークがなく、かつ、被災文化財等の対応に業務として携わることができる組織もほとんどありませんでした。そのため、急遽発足したボランティア団体「歴史資料保全ネット・わかやま」※2 が中心になって文化財等のレスキュー活動を行いました。
 
※2 水害の発生後に発足した。学芸員や大学教員らにより構成されている。
 
 
水損資料クリーニングのワークショップ
和博連が主催した水損資料クリーニングのワークショップ(平成27年8月26日) 
印南町立印南中学校津波研究班の生徒も参加した
 
卒業アルバムをレスキューする様子
紀伊半島大水害では卒業アルバムなどの「思い出品」もレスキューされ、クリーニングと簡易補修が施された
(写真提供:歴史資料保全ネット・わかやま)
 

 しかし、現在は和歌山県の地域防災計画に、「災害時における文化財等の救援・保全」活動が明記されたことで、文化財等レスキューに県の機関が「公務」として和博連と共に関わる制度的な根拠ができました。レスキューに備えて、災害時に限らず、指定・未指定を問わない文化財の所在把握も、和博連と連携して行うことが明記されています。
 また、災害時の県外からの応援に対する「受援体制」についても地域防災計画に記してあるので、和博連側がうまく活用できればスムーズにいくと考えています。
 文化財等のレスキューというのは、非常時に限らず日常的なものも含まれます。これには、非常時にレスキューを行うためには日常的な活動の蓄積が極めて重要であるという意味と、災害等の非常時に限らず、レスキューを必要とする文化財等が散失する危機的状況は日常的に進行しているという、二つの意味があります。
 そもそも文化財等の所在情報がなければ非常時にレスキューには行けませんし、レスキューに行きやすくするためには、日々の調査などで地元の方や市町村の教育委員会との関係を構築することが肝心です。地域との交流を重ねる中で、例えば、「廃寺になるお寺があり、古文書もありそうだ」といった非常時ではないレスキューにつながる情報も、我々に届くようになりました。いざというときは混乱するでしょうが、和博連のような活動を積み重ねていくと、非常時の受け入れに向けた訓練になるのではないかと考えています。
 「制度的な根拠」と「いざというときのための運用」。和博連では、根拠と運用の両面で少しずつ災害への備えが進んでいるのではないかと感じています。
 
 
部屋で災害記録の確認
災害記録の調査

 
和歌山県地域防災計画
(※クリックして拡大)

 
 
一日頃から地域の方々との交流を重ねることも、文化財等レスキューの大切な一部分なのですね。
 
 和博連は、平成27年度から文化庁の補助金事業「地域に眠る『災害の記憶』と文化遺産を発掘・共有・継承する事業」※3 に協力しています。
 この事業は、石碑や古文書の中にある「この場所まで津波が来た」「先人たちが命を取り留めた方法」といった記録や伝承、つまり「災害の記憶」を調査・発掘し、地域の人々と共有・継承していこうという取り組みです。具体的には、県内の自治体を毎年2~3市町村ずつ調査し、成果をまとめた冊子を調査対象の自治体で全戸配布しています。また、併せて現地学習会も行い、将来起こるであろう災害に対して、住民が自らの生命と財産(文化財含む)を守るための材料を、文化財等を通して提供しようとする活動を行っています。
 
※3 事業主体は和歌山県立博物館施設活性化事業実行委員会。
 
 
調査対象地域へ配布される冊子
『先人たちが残してくれた「災害の記憶」を未来に伝える』 
調査対象地域へ全戸配布されている 
  
 
水害記念碑を調査する様子
明治22年大水害の被害状況を後世に伝える目的で建てられた日高川町指定文化財『水害記念碑』の調査 

 
安政南海地震での被害状況が書かれた古い記録紙
『津浪之由来(記録)下書』 
安政南海地震津波での由良町の被害状況、避難時の様子が記されている
 

 この事業のきっかけは、紀伊半島大水害の半年後である平成24年4月に和歌山県立博物館で開催した特別展「災害と文化財−歴史を語る文化財の保全−」です。先程述べたように、水害時に「公務」でレスキューに携わる機関がほとんどない中、県立博物館では、急遽、災害に関する特別展の開催を決定しました。そして、レスキュー活動を「『特別展で展示する資料集め』のための『公務』である」と柔軟に解釈して被災地に入り、その成果を特別展として結実させたのです。
 博物館や美術館の収蔵品以外にも、和歌山県内には貴重なものがたくさんあり、大災害の時にそれらを被災したまま放置しておくと地域の歴史が消滅してしまいます。特に、短時間で津波が到達すると予想される県南部は、県庁所在地である和歌山市から遠い上に、人口密度が低い地域です。災害時の拠点になり得る館もほとんどありません。しかし、かつて海の流通が盛んだった県南部には文化財や寺社も多く、守るべきものは多くあります。
 そして、そのような救うべき文化財の中には、私たちの命を救うことにつながる材料もあります。そういう文化財等を発掘、再発見し、社会に広めれば、地域にある文化財等全体への関心が高まり、残すことにつながるはずです。
 
 
紀伊半島水害でレスキューされた阿弥陀如来像
紀伊半島大水害の際、レスキューされた阿弥陀如来像

 
バラバラになった阿弥陀如来像をクリーニング
バラバラの断片になり、泥を被って被災していたがクリーニングが施され、その後の調査で仏像内から貴重な納入品が発見された 
(写真提供:歴史資料保全ネット・わかやま)
 
 
ーお二人は博物館と文書館に勤める専門職として、歴史を未来へつなぐ仕事をどのように捉えていますか。
 
 まず、和歌山が開発や過疎により変化していく中で、自分が生きていたところ・住んでいたところの歴史が刻まれた"もの"や"記録"を残していきたいと思っています。そして、それらから分かる過去の経緯や歴史的背景を、個人や組織が行動する際の判断材料にしてほしいと考えています。今は時代の変化が速くなり、必ずしも歴史的なことを判断材料にしなくなってきていると感じますが、重要な判断の基本として「過去を参照する」行為を残しておいてほしいですね。我々の、歴史を未来につなぐ仕事というのは、究極的には「判断材料を残す仕事」だと認識しています。
 また、被災地では、仮設住宅に避難している方が昔の家に一時帰宅された際、位牌やアルバムを持ち出した方が多いようです。災害が起きると、一族や家族の歴史といった「自らのルーツを感じられるもの」の欠片を取り戻して、自身のアイデンティティを確かめたいという気持ちが生じるのかもしれません。同じことを「地域」に当てはめて考えると、地域の歴史が詰まった文化財等や古文書がそれにあたります。 文化財等を残すのは、あくまでも地元の人です。ただ我々が「大事ですよ」と言うだけでは伝わらないので、普段は博物館が文化財等を展示して魅力を伝え、文書館は記録を保存しています。そして、普段は気が付きにくい「文化財等や歴史的なものを残さなければいけない理由」を現地学習会などで伝え、くずし字の解読などを行い、橋渡し役として文化財等を残す「お手伝い」をするのも大切な仕事の一つといえます。材料が残っていて、読めて、そこで初めて活用できるのです。 指定管理者制度を導入する博物館・図書館・文書館が増えていますよね。そのような状況だからこそ地域資料を守り、活用するような専門的な部分は司書や学芸員などの専門職が担っていかなければならないと思っていますし、我 々もプロとして日々努力していく必要があります。
 
 
すさみ町で行われた現地学習会の様子
すさみ町で行われた現地学習会(平成28年2月28日)
「歴史から学ぶ防災2015一災害の記悦を未来に伝える一」
 
 
ー最後に、お隣の県である三重の博物館施設との交流について教えてください。
 
 現在の三重県南部は、もともと「紀伊国」の一部です。また、その他にも松坂など、江戸時代の紀伊徳川家の領地が多くありました。 現在は両県の博物館同士の協定といったような制度化された交流はありませんが、和博連の先輩格である三重県博物館協会や、三重県総合博物館※4 の方々とは、日頃から災害情報の交換を行い、アドバイスをいただいています。例えば、紀伊半島を台風が通過した際や震度4程度の地震があった際に、三重県総合博物館から「三重県博物館協会の会員館園が被災していないことを確認済みです」という情報を和歌山へ発信していただいています。それが、いい意味でプレッシャーになって、和歌山県も、県内市町村に被災状況を照会するようになりました。
 平成29年の2月末には和博連主催の研修会に同館学芸員の間渕創さんをお招きして「自然災害時における三重県博物館協会の取り組みについて」という演題でお話していただきました。その際に教えていただいた、三重県のマニュアルや運用方法を和歌山風にアレンジし、災害の被害レベルと発災からの段階に合わせたものを整備することが和博連の今年の課題です。
 文化財防災の先進県である三重の博物館ネットワークのよい部分を取り入れて共に学び合い、和博連が抱える課題をクリアしながら災害に備えていければと思っています。
 
※4 三重県博物館協会の事務局は三重県総合博物館に置かれている。
 
一本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
 
 
(取材日:2017年5月10日)
取材・執筆:宮脇 薫子 金剛株式会社 社長室
※取材当時 

PASSION38表紙
この記事は「PASSION vol.39」に収録されています
 
 
 

 

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