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  • 阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター資料室

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震災アーカイブの先駆け
神戸の教訓に学ぶ

阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター資料室


interview

話し手の写真
話し手:杉本 弘幸さん 阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 資料専門員  ※所属・役職は取材当時のものです。
 
 
 
震災の記憶フロアの展示
西館3階 震災の記憶フロア展示
「震災の記憶を残すコーナー」
 
 

  戦後最大級の大都市直下型地震となった阪神・淡路大震災。「アーカイブ」という言葉がまだ一般的ではなかった当時、 被災地では被災・復旧・復興の記録を残そうという機運が、図書館、ボランティア団体、行政機関などの中から同時多発的に巻き起こりました。あれから22年。震災アーカイブの先駆けともなった阪神・淡路大震災を巡る震災資料収集活動の経緯と、経験を積んで見えてきた課題、全国の災害アーカイブ関係者へのアドバイスなど、人と防災未来センター資料室の杉本様にお話を伺ってきました。
 
―人と防災未来センターのあらましと資料室の位置づけについて教えてください。
 
 当センターの設立は平成14年4月です。阪神・淡路大震災の経験を語り継ぎ、防災・減災の実現のために必要な情報を発信する防災学習施設として開設されました。センターが備える展示や防災研究などといった機能のうち、資料室では「資料収集・保存」の機能を担っています。一口に「資料」と言ってもその形態は実に多岐に渡ります。 当資料室ではモノ資料、 紙資料、写真、映像・音声などを「一次資料」と呼び、かたや図書、雑誌、視聴覚資料などを「二次資料」と呼んでいます。収蔵総数は、「一次資料」が約19万点、「二次資料」が約4万点です。現在も寄贈などにより資料の点数は増え続けていますが、かなりの資料はセンター開館前から収集されていたものです。
 
―阪神・淡路大震災を巡る資料収集活動はいくつかの団体や機関で取り組まれてきたかと思います。神戸における震災資料収集活動の概略と、人と防災未来センターが扱う資料の来歴について教えていただけますでしょうか。
 
  阪神・淡路大震災の被災地では、発災の直後から、ボランティア団体、図書館、行政機関などそれぞれが主体となって「震災資料」の収集活動を始めました。当時の方々が規定した「震災資料」とは、「震災の発生直後から被災地の復旧・復興過程で使われ、作られた様々な記録・資料」、「被災地内(外)で生きる人々のその時々の営みを記した『生』の記録」というものでした。これらは、被災後の生活を映し出した「同時代資料」という特徴を持っています。一方で、 震災前からその地域に存在していた歴史的価値を有している資料で、震災によって被災したものは「被災資料」と呼ばれ、「震災資料」とは区別して扱われました。「震災資料」と「被災資料」は、同時代資料か歴史資料かの区別はありながらも、それぞれに携わる方々の多くが両方に関わりながら、実態として車の両輪のような関係で進められてきました。
 まず、ボランティア団体の動きですが、最初に動き出したのは「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」(平成7年1月19日結成)でした。同NGO組織は1月31日には「文化情報部」を結成し、被災地の記録資料や写真などの救出を開始します。さらに、同年3月には「震災・活動記録室」へと発展し、ボランティア団体の活動の記録を残す取り組みを開始。その後、「震災・まちのアーカイブ」へと継承され現在に至っています。 同じボランティア団体の動きとして、歴史資料である「被災資料」の救出にあたったのが「阪神大震災対策歴史学会連絡会」です。大学教員、院生、 学生、史料保存機関職員などにより結成され、その後「歴史資料保全情報ネットワーク」を経て「歴史資料ネットワーク」(略称:史料ネット)へと発展し、現在に至っています。阪神・淡路大震災では、3年間でのべ約800人のボランティアを動員して、約1500箱分の被災歴史資料を救出しました。現在は神戸大学に事務局を置き、阪神・淡路大震災以降も全国の大規模災害時にボランティアを派遣するなど、各地の歴史資料救出で多くの実績を上げ続けています。
 図書館関係では、平成7年4月に、被災地の図書館職員による「震災資料を残すライブラリアン・ネットワーク」が結成。神戸市立中央図書館が「震災関連図書コーナ」(現・1.17 文庫)を開設。同年10月には、神戸大学附属図書館の「震災文庫」が一般公開を開始。11月には兵庫県立図書館の「フェニックス・ライブラリー」が開設されるなど、館種を越えてそれぞれに震災資料を残す 活動が始まりました。
 行政機関の動きとしては、震災の2年後に神戸市長田区職員の有志により開設された「人・街・ながた震災資料室」などがあります。
 当資料室が所蔵する資料は、平成7年10月から(財)21世紀ひょうご創造協会が兵庫県の委託により行っていた収集・保存事業の流れを組むものです。平成10年4月以降は、新たに設立された(財)阪神・淡路大震災記念協会に収集事業が引き継がれました。当初は嘱託職員3人という体制で進められていましたが、平成12年6月からは、兵庫県の「緊急地域雇用特別交付金事業」による大規模な震災資料所在調査が2年間にわたって行われたことで一気に作業が前進しました。1期6か月で1期あたり110人、2年間でのべ約440人という大規模な人員が投入され、各種NPO団体や復興公営住宅、学校などから、約16万点という膨大な資料が収集されました。これら一連の取り組みによって収集された資料が、平成14年のセンター開館に伴い当資料室に引き継がれ、現在に至っているのです。
 
 

阪神淡路大震災に伴う団体の動きの表
阪神・淡路大震災に伴う各団体の動き(※クリックして拡大)

 
 
人と防災未来センターの所蔵資料は、どのように活用されているのでしょうか。
 
 当センターで開催する展示企画や防災関連イベントでの活用のほか、外部の機関でも活用いただいています。紙、映像・音声、モノ資料は、使用目的や輸送条件が適する場合に限り貸し出しを行っております。多くは震災や災害をテーマとした展示企画です。過去には、震災を取り扱った報道番組や、かつて仮設住宅に住んでいらっしゃった方々の同窓会イベント、震災20年の追悼式典などで活用いただいたこともあります。当資料室は図書館施設ではないため、図書資料などの貸出業務は行っていませんが、館内での閲覧はもちろん、調べものや探しもののお手伝いといったレファレンスサービスは行っています。利用者は行政関係者、教育関係者、企業、マスコミ、研究者、一般市民など様々です。
 その他、各種刊行物の制作・発行を通じて所蔵する資料の紹介を行ったり、学生向けに学習用教材を作成したりしています。刊行物は当センターで配布しているほか、一部の資料に関してはホームページ上でPDFを公開し、多くの方々の防災・減災教育に役立てていただけるようにしています。 
 
 
移動棚に入った資料
西館5階 
資料室奥に保管された二次資料 請求や問い合わせに応じて活用されている
 
並べられた資料室ニュース
資料室が年3回発行し続けている「資料室ニュース」 
震災資料を活用して阪神・淡路大震災を様々な側面から振り返る記事などを掲載している
 
並べられた報告書
震災資料を公開するための基準等についての研究会、委員会の報告書  資料を活用するための先例として資料室HP上でPDFを公開している
 
 
―「震災資料」は、図書館や博物館施設が扱う資料とは性質が大きく異なりますが、「震災資料」ならではの扱いの難しさというのはありますか。
 
 「震災資料」は被災や復旧復興過程で生まれてきた同時代資料というのが特徴です。同時代資料は個人情報の塊なので、公開に際しては大変な制約が伴い、当初はかなりの部分が公開不可となってしまいました。「震災資料」の大きな特徴は、権利者の所在情報のつかみにくさです。古文書などの場合、寄贈・寄託してくださった所有者の住所が明らかな場合が多いのですが、「震災資料」の場合は、寄託してくださった当時は仮設住宅や復興公営住宅にいらっしやって、その後の足取りがつかめなくなってしまうことが非常に多いです。そこで、収集した震災資料をいかにして公開・活用するかを巡って、弁護士、歴史学者、災害研究者などを交えて研究会を立ち上げ、5年ほどかけて公開基準を定めてきました。これらは当資料室のホームページで公開しており、多くの同時代資料収集関係者の方々にご活用いただいております。収集した資料は公開・活用されることでその価値を発揮しますので、現在は、収蔵スペースの限界もあり、公開できるもの以外はなるべく受け入れないという方針をとっています。
 
―資料の形態も多様なだけに、保存も大変かと思いますが。 
 
 「震災資料」は同時代資料であるがゆえの保存の難しさがあります。平成7年というと、FAX・ワープロ用紙などでは感熱紙が多用されていた時代です。感熱紙はアルコールや油、経年変化により文字や画像が薄くなってしまいますので、消えてしまう前に複写をとるなどの対策をとっています。また、一般的な紙資料でも、酸性紙やわら半紙など劣化が早いものが多くあるのも特徴です。磁気媒体に関してもVHSテープやカセットテープなどのように劣化の早い性質のものや再生機器自体が無くなりつつあるという問題もあり、今後も定期的に媒体変換を継続しながら対応しなければなりません。
 また、モノ資料の中には、救援物資として配布された缶詰などの食料品もあります。缶の継ぎ目が腐食して中身が漏れてきたものがありましたので、写真を残して缶詰の中身のみ廃棄したということもありました。
 このような社会的な要因や資料の特性による問題というのは、同時代資料特有の問題だと思います。
 一方で、保存の面では歴史資料同様の配慮も要求されます。現在、一次資料は、西館3階の展示スペース裏と西館7階の2つの収蔵庫に収蔵されています。3階は展示スペースの空調に依存しているため、空調が止まる夜間と、人がいる昼間とではかなり大きな温湿度差が生じており、資料にとって良い環境とは言えない状況です。かたや7階の収蔵庫は、建物の最上階のため、気候や天候の影響を受けて温湿度が大きく変動しています。常時空調を稼動させているので温度は20度前後に保てていますが、湿度の方は変動が激しく、追加で除湿器を設置するなどの対策をとっているものの、あまり効果がありません。今後、災害関連で同様の施設を計画する場合は、初期の段階で博物館学芸員など資料収集・保存の専門家を交えることをお勧めしたいと思います。
 
 
展示スペースの裏側
3階 震災の記憶フロア展示 「震災の記憶を残すコーナー」裏に保管された一次資料 
左側の金網の向こうが展示スペース 
 
収蔵庫の保管庫
西館7階 第一収蔵庫の保管棚 
一次資料を保管 24時間空調により温度は通年で一定に保っている
 
 
―現在も全国の災害経験地域では、図書館などを中心に被災の経験を残し伝える活動が様々な形で展開されています。神戸での20年を越える実績から、何かアドバイスなどありましたらお願いします。 
 
 震災資料は、図書館・博物館施設が扱う通常の資料とは大きく性格が異なり体系だったものがありません。そのため、分類・整理方法や保存の方法など、経験の中から独自の手法が生み出されている事例が多数あるように、担当者個人の経験がものを言う世界です。しかし、被災経験の伝承というのは息の長い取り組みになるため、予算や人事異動の問題などから逃れることはできません。
 私自身前任者から引き継いで3年目で、約19万点の一次資料のうち、把握できているのはせいぜい5千点ほどです。到底すべてを把握できているわけではありませんが、なんとか日常の業務対応ができているのは、初期の段階で導入されたデータベースがあるからです。平成26年にリプレイスしたシステムは博物館・図書館用に市販されているデータベースシステムです。登録間違いなどを見つけることもありますが、都度修正しながら少しずつ精度を上げています。分類・整理法についても、災害アーカイブに特化した当資料室では独自のものを使っていますが、図書館・博物館施設など既存の施設が始める場合には、日常的に使っている分類・整理法を使い、なるべく通常業務の一環として取り入れられる工夫をされるのがよろしいかと思います。業務負荷を減らすことが、結果的に継続性を持たせることにつながり、資料を後世に引き継ぐことになります。
 
 ―震災資料が持つ「同時代性」ゆえの公開・活用の難しさ、保存の難しさ、そして何より継続の難しさがよくわかりました。阪神・淡路大震災以降、度重なる大規模災害を経験し、社会全体で防災・減災意識が高まる中、震災資料の重要性はますます増していくと思います。本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
 
 
(取材日:2017年9月12日)
取材・執筆:矢賀部 仁 金剛株式会社 管理本部復興計画室
※取材当時 

阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター資料室
所在地:兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-5-2 (人と防災未来センター西館5F)
T E L :078-262-5058 
開館時間:9:30 ~17:30
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)年末年始(12月29日~1月3日)
U R L :http://www.dri.ne.jp/material
 

施設外観

 

PASSION38表紙
この記事は「PASSION vol.39」に収録されています
 
 
 

 

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